トマス・トムソン (植物学者)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > トマス・トムソン (植物学者)の意味・解説 

トマス・トムソン (植物学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/21 14:02 UTC 版)

トマス・トムソン(Thomas Thomson、1817年12月4日1878年4月18日)は、イギリス東インド会社に勤務していたスコットランド出身の外科医で、植物学者。トムソンはジョセフ・ダルトン・フッカーの友人であり、『Flora Indica(インドの植物相)』 の最初の巻の執筆を援助した。

生涯

トムソンは、グラスゴーで、グラスゴー大学化学の教授であった同名の父トマス・トムソンの息子として生まれた。1839年にグラスゴー大学で M.D. の資格を得、1839年12月21日ベンガル軍英語版に外科医助手 (Assistant Surgeon) として配属された。

1839年から1842年にかけての第一次アフガン戦争では、1839年ガズニーの占領に従軍しており、その後、1842年3月にはカズニーで捕虜となったが、同年9月21日に解放された。その後、1845年から1846年にかけての第一次シク戦争に従軍して、フィールーズシャーの戦い英語版に参加し、1848年から1849年にかけての第二次シク戦争にも従軍した。1853年12月1日には、外科医に昇格し、さらに1859年12月21日には外科医少佐 (Surgeon Major) に昇任した。

トムソンは、イギリス東インド会社がカルカッタ(コルカタ)に設けていた植物園アチャーヤ・ジャガディッシュ・チャンドラ・ボース植物園の前身)の園長となり、チベット遠征隊に博物学者として参加した。

1855年には、王立協会フェローに任じられ、1863年9月25日にそれを退任した。1866年には王立地理学会から金メダル(創立者メダル)を贈られた[1]

トムソンは、1878年4月18日イングランドロンドンで死去した[2][3]

脚注

  1. ^ List of Past Gold Medal Winners”. Royal Geographical Society. 2015年8月24日閲覧。
  2. ^ Obituary. in The Journal of the Royal Geographical Society. Volume 48. pages cxxxvii- cxliii.
  3. ^ Roll of the Indian Medical Service 1615-1930 by D. G. Crawford

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「トマス・トムソン (植物学者)」の関連用語

トマス・トムソン (植物学者)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



トマス・トムソン (植物学者)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのトマス・トムソン (植物学者) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS