トマスターナー (日記作家)とは? わかりやすく解説

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トマス・ターナー (日記作家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/11 05:45 UTC 版)

トマス・ターナー
生誕 1729年6月9日
イングランドケントスペルドハースト英語版 (グルームブリッジ英語版)
死没 1793年2月6日(1793-02-06)(63歳)
イースト・サセックスイースト・ホースリー英語版
墓地 イースト・ホースリー教会
北緯50度55分30秒 東経0度09分43秒 / 北緯50.924977度 東経0.161812度 / 50.924977; 0.161812
住居 北緯50度55分32秒 東経0度09分54秒 / 北緯50.925595度 東経0.164878度 / 50.925595; 0.164878
職業 商店主
著名な実績 日記
宗教 イングランド国教会
配偶者 Margaret 'Peggy' Slater(1753年10月15日 - 1761年6月23日
Mary Hicks(1765年6月19日 - 1783年2月6日
子供 Peter (1754–1755)
Margaret (1766–1791)
Peter (1768–1786)
Philip (1769–1829)
Frederick (1771–1774)
Michael (1773–1810)
Frederick (b. & d. 1775)
Frederick (b. & d. 1776)[1]
イースト・ホースリーのターナーの家。

トマス・ターナー(Thomas Turner、1729年6月9日ユリウス暦)- 1793年2月6日)は、イングランド南部サセックス(後のイースト・サセックス州)イースト・ホースリー英語版の商店主。今日では、その書き残した日記によって広く知られている。

生い立ち

ターナーは、 ケントスペルドハースト英語版小教区グルームブリッジ英語版に生まれた[2]1735年、ターナーの父はサセックスのフラムフィールド英語版に店を構えた[2]。ターナーがどのような学校教育を受けたかはほとんどわかっていないが、彼の手記が明晰に書かれていること、実用的な計算能力をもっていたこと、また幅広い知的な関心などから、ある程度の水準の教育を受けていたものと思われる[2]1750年、21歳のときに、ターナーは自分の店をイースト・ホースリーに構えた[2]

ターナーは最初の妻マーガレット・スレイター(通称「ペギー」: Margaret ('Peggy') Slater、1733年 - 1761年)と、1753年10月15日に結婚した[2]。ふたりの間には、ひとり息子ピーター (Peter) が1754年8月19日に生まれた[2]1755年1月16日、ターナーは次のように記した。「今朝、午前1時ころ、幼いわが息子ピーターを、21週と3日で失うという不運に見舞われた。[3]

日記:1754年 – 1765年

ターナーは、生涯の中で11年間にわたって日記を付けており、現存する最も古い日付は1754年2月21日のものである。この日記を記した目的はいくつもあり、商売の帳簿として、あるいは、法的なやりとり、不動産取引の記録として、また、宗教的考察や、ターナーの日々の生活の記録としても機能していた。結婚生活がターナーの期待に反するものとなっていたことは、しばしば落ち込んだ雰囲気の記述が見られる原因となっていた[2]

ターナーは、イースト・ホースリーのコミュニティにおいて、重要な人物であった[2]。商店を営んでいたことに加え、 葬儀屋、学校長、貧民の調査・保護役などを兼ねていたのである。ターナーは、他人が遺言を書くのを手助けし、会計を管理し、徴税役も務めていた[2]。教区委員会 (vestry) にも定期的に参加しており、時々はニューカッスル公爵家のハランドの屋敷 (Halland House) も訪れていた[2]

ターナーは社交やクリケット競技とともに、読書にも熱心だった[2]。宗教的な文献のみならず、ウィリアム・シェイクスピアジョン・ロックジョゼフ・アディソンサミュエル・リチャードソンなどの著作を読んでいた。医学文献、新聞、定期刊行物、滑稽小話集英語版などのほか、ターナーの関心は装蹄術、政治、旅行などにも及んでいた。ひとりで読書することもあったが、妻や友人たちと、大きな声で音読することもしばしばあった[4]

日記の手書き原本と出版

ターナーの日記は、完全な形で出版されたことはない。デイヴィッド・ヴェイジー英語版が編集した版には、全体のおよそ3分の1が収められている[2]。 ヴェイジー版には家系図、日記に登場する人物たちの簡単な伝記、ターナーが読んだとして言及している書物の一覧なども収められている[5]。定期刊行物であった『Sussex Archaeological Collections』は、1859年に、日記からの抜粋を掲載した。日記のテキストは、現在はパブリックドメインにあり、オンラインで読むことができる[6]。現存する111冊の手書き原本は、イェール大学スターリング記念図書館英語版に所蔵されている[7]

ヴェイジー版には、ターナーによって作成された帳簿や、非嫡出子の父親を証明する書類 (bastardy bonds) など、イースト・サセックス文書館 (East Sussex Record Office)(後のThe Keep, Brighton)から得られた数点の文書も収録されている[8][9]

後年

イースト・ホースリーのトマス・ターナー・ドライブ。

ターナーは、1765年6月19日にメアリ・ヒックス(Mary Hicks、1735年 – 1807年)と再婚したが、その数週間後に日記を付けるのを止めてしまう[2]。最後の日付となった7月31日の日記にターナーは、「私は、再び、少し落ち着きはじめ、自分の選択に満足している (I begin once more to be a little settled and am happy in my choice)」と記した[10]

再婚後の歳月、ターナーは心地よい生活を送ることができた。彼は店を買い、新たに土地や、イースト・ホースリーで一番のパブを買った[2]。夫妻の間には、娘ひとりと息子6人の合わせて7人の子どもたちが生まれた。そのうち20歳を過ぎるまで生き延びたのは3人だけであった。

ターナーは1793年2月6日に死去し、2月11日にイースト・ホースリーの教会敷地内に埋葬された[2]。墓標は、教会の向かって右側、Clements Room の近く、息子であるフィリップ・ターナー (Philip Turner) とその家族の箱形の墓 (table tomb) の前にある。そこには、やはりターナーの息子たちであるピーター (Peter) とフレデリック (Frederick)、妻メアリ・ターナーの墓もある。ターナーの家には、記念のプラークが取り付けられている。

脚注

  1. ^ Vaisey, David, ed (1994). Diary of Thomas Turner, 1754-1765. East Hoathly: CTR Publishing. pp. 324–325. ISBN 0-9524516-0-3. 
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o Vaisey, David (2004). “Turner, Thomas (1729–1793), diarist and shopkeeper. Oxford Dictionary of National Biography. Oxford: Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/48266. http://www.oxforddnb.com/view/article/48266 2010年1月16日閲覧。. 
  3. ^ Vaisey, David, ed (1994). Diary of Thomas Turner, 1754-1765. East Hoathly: CTR Publishing. p. 4. ISBN 0-9524516-0-3. 
  4. ^ Vaisey, David, ed (1994). Diary of Thomas Turner, 1754-1765. East Hoathly: CTR Publishing. p. 347. ISBN 0-9524516-0-3. 
  5. ^ Vaisey, David, ed (1994). Diary of Thomas Turner, 1754-1765. East Hoathly: CTR Publishing. pp. 324–53. ISBN 0-9524516-0-3. 
  6. ^ Blencowe, R.W.; Lower, M.A. (1859). “Extracts from the diary of a Sussex tradesman, a hundred years ago”. Sussex Archaeological Collections 11: 179–220. OCLC 1608099. http://www.archive.org/details/sussexarchaeolo32socigoog. 
  7. ^ "Thomas Turner Papers". Manuscripts and Archives, Yale University Library. hdl:10079/fa/mssa.ms.0509
  8. ^ Vaisey, David, ed (1994). Diary of Thomas Turner, 1754-1765. East Hoathly: CTR Publishing. p. 11. ISBN 0-9524516-0-3. 
  9. ^ E.S.R.O., Overseers' account book (PAR 378/31/1/1), June 1761 - April 1779”. 2010年1月20日閲覧。
  10. ^ Vaisey, David, ed (1994). Diary of Thomas Turner, 1754-1765. East Hoathly: CTR Publishing. p. 323. ISBN 0-9524516-0-3. 

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