トップ引き暴動事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/10 07:48 UTC 版)
1968年4月11日。川崎競輪の開設記念開催、「桜花賞」の決勝が行われる日だった。このレースは普通競走で行われた。つまり「トップ引き」と呼ばれる、風圧をモロに受けて走る選手が必要であった。ところが当時、トップを引く選手は特定されていなかった。またこのレースにおいては、率先してトップを引こうと考える選手がメンバー中におらず、スタートのやり直しが何度も繰り返された。 すると、他の選手がトップに出ようとしないことに業を煮やした笹田が、本命を背負っているにもかかわらず何と自らトップを引いた。トップ引きの選手は最終的には(他選手に落車、失格等が一切ない限り)末着を余儀なくされることから、笹田がトップを引いた瞬間に場内は騒然。そしてレース終了直後に一部の観客が暴徒化し、焼き討ち事件にまで発展してしまった。この事態を重く見た競輪界はすぐさま、トップ引きの対象は6番車の選手とすることを決めた。また笹田は引退間際には競走中の事故により、車椅子の生活を余儀なくされたという。 もっとも、GIを4回制覇した笹田の栄光が色あせることはない。現在、笹田のホームバンクであった小松島競輪場では毎年、S級シリーズ・「笹田伸二杯争覇戦」が開催されている。
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