デカンの諸王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:55 UTC 版)
北インドのイスラーム支配は14世紀にはデカン高原にもおよび、1347年トゥグルク朝の臣下であった地方長官が自立し、バフマニー朝を建国して、ムスリム政権を成立させた。 その後、バフマニー朝は2世紀近く存続したのち1527年に滅び、その領土にはベラール王国(イマード・シャーヒー朝)、ビーダル王国(バリード・シャーヒー朝)、アフマドナガル王国(ニザーム・シャーヒー朝)、ビジャープル王国(アーディル・シャーヒー朝)、ゴールコンダ王国(クトゥブ・シャーヒー朝)の5つの王国が割拠する形となり、これらはデカン・スルターン朝と呼ばれる。 デカン・スルターン朝は当初互いに他国と領土を争い、南のヴィジャヤナガル王国もこれらに関与したが、やがて5王国は同盟を結んで、1565年ターリコータの戦いで連合軍はヴィジャヤナガル王国の軍を破った。 しかし、その後は再び争うようになり、ベラール王国、ビーダル王国は他国に滅ぼされ、アフマドナガル王国、ビジャープル王国、ゴールコンダ王国はムガル帝国に滅ぼされた。
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