ディック・バーネットとは? わかりやすく解説

ディック・バーネット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/28 15:02 UTC 版)

ディック・バーネット
Dick Barnett
引退
ポジション SG
基本情報
愛称 Fall Back Baby
国籍 アメリカ合衆国
生年月日 (1936-10-02) 1936年10月2日
没年月日 (2025-04-27) 2025年4月27日(88歳没)
出身地 アメリカ合衆国 インディアナ州ゲーリー
死没地 アメリカ合衆国 フロリダ州ラーゴ
身長(現役時) 193cm (6 ft 4 in)
体重(現役時) 86kg (190 lb)
キャリア情報
出身 テネシー州立大学
ドラフト 1959年 4位
永久欠番 ニックス  12 
選手経歴
1959-1961
1962-1965
1965-1973
シラキューズ・ナショナルズ
ロサンゼルス・レイカーズ
ニューヨーク・ニックス
受賞歴
Stats  Basketball-Reference.com
Stats  NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

ディック・バーネットRichard "Dick" Barnett, 1936年10月2日 - 2025年4月26日または4月27日)は、インディアナ州ゲーリー出身のバスケットボール選手。黄金期を迎えた1970年代前半のニューヨーク・ニックスの主力選手の一人であり、背番号『12』はニックスの永久欠番となっている。また"フェイダウェイシュート"のパイオニア的存在としても知られる。

経歴

生い立ち

ディック・バーネットことリチャード・バーネットはゲーリー・ルーズベルト高校でプレイし、1955年のシーズンには僅か1敗しかせず(敗れた相手はオスカー・ロバートソンを擁し、当時無敵を誇ったクリスパス・アタックス高校だった)、同校を州タイトルに導いた。

大学はテネシー州立大学でプレイ。バーネットは同校を史上初となるNAIAチャンピオンシップ三連覇に導き、バーネット自身は3度のオールアメリカン、2年連続NAIAトーナメントMVPに輝き、全国オールアメリカンチームに選ばれた初のアフリカ系アメリカ人となった。大学通算成績は平均23.6得点11.5リバウンドである。

NBAキャリア

ナショナルズ~レイカーズ

大学を卒業したバーネットは1959年のNBAドラフトでシラキュース・ナショナルズから全体4位指名を受けてNBA入りを果たす。ルーキーイヤーには12.4得点、翌シーズンには16.9得点を記録するが、新設されたプロリーグABLのクリーブランド・パイパーズに移籍したため、ナショナルズでは2シーズンのみのプレイとなった。バーネットはパイパーズを1961-62シーズン優勝に導いた。

1962年にバーネットはNBAに戻り、ロサンゼルス・レイカーズに入団した。ジェリー・ウェストエルジン・ベイラーらと共にプレイしたバーネットは平均18得点前後をあげる有力な得点源として活躍し、1963年には初のNBAファイナル進出も経験している。レイカーズでは3シーズンプレイし、1967年から今後11シーズン過ごすことになるニューヨーク・ニックスに移籍した。

ニューヨーク・ニックス

レイカーズでは3番手選手だったバーネットは、ニックスではエースとして活躍。移籍元年にはキャリアハイとなる23.1得点4.1リバウンドを記録し、初のオールスターにも選ばれた。チームもバーネットの加入で長い低迷期から脱出する切っ掛けを掴み、このシーズンには8シーズンぶりとなるプレーオフ進出を果たした。翌シーズンにはウィリス・リードが入団し、チームの主役の座はバーネットからリードに譲られるも、リードの加入でニックスは王者への道を歩み始めることになる。

ウォルト・フレイジャーが入団した1968-69シーズンには54勝、さらに翌1969-70シーズンにはフランチャイズ記録となる60勝を記録。ニックスはプレーオフを勝ち抜き、ファイナルではバーネットの古巣、レイカーズを破ってチーム史上初となる優勝を果たした。

30代後半を迎えつつあったバーネットは初優勝を境に成績が後退し始め、またニックスもジェリー・ルーカスらを獲得するなどチーム改革を進めた。1972-73シーズンにバーネットの成績は平均3.3得点まで落ち込んだが、チームは再びファイナルの舞台に立ち、再びレイカーズを破ってバーネットは2つ目のチャンピオンリングを獲得。翌1973-74シーズンに4試合だけプレイした後、現役から引退した。

NBA通算成績は14シーズン971試合の出場で、15,358得点2,812リバウンド、平均15.8得点2.9リバウンドだった。

引退後

引退後はレッド・ホルツマンの下でアシスタントコーチを務めた。

バーネットはニックス在籍時からニューヨーク大学に通い、経営学の学位を取得し、引退後はフォーダム大学で博士号を取得した。その後セント・ジョンズ大学で教鞭をとり、スポーツ・マネージメントを教えた。現在は教育関係の非営利団体の理事長を務めている。

2025年4月26日から27日かけての夜、フロリダ州ラーゴの生活支援施設で死去。88歳没[1]

フェイダウェイシュート・業績

バーネットはジャンプシュートを打つ際、後ろにジャンプしながらシュートする"フェイダウェイシュート"を編み出した選手とされている。このシュートはディフェンスする側からより離れてシュートを打つことができるため、非常に有効な武器としてバスケット界に広まることになる。当時は「question mark jump shot」とも呼ばれ、また本人は「Fall back, baby」と呼んでいた(そのまま本人の愛称となる)。

主な業績

脚注

外部リンク





固有名詞の分類

アメリカ合衆国の男子バスケットボール選手 ピーター・コーネル  ウェイン・シミエン  ディック・バーネット  バーナード・キング  ロバート・オーリー
アメリカ合衆国のバスケットボール選手 ジェフ・マリンズ  ウェイン・シミエン  ディック・バーネット  ロナルド・マレー  グレッグ・ポポヴィッチ
ニューヨーク・ニックスの選手 ディケンベ・ムトンボ  ミルサド・テュルクジャン  ディック・バーネット  バーナード・キング  マチェイ・ランペ
ロサンゼルス・レイカーズの選手 スタニスラヴ・メドベデンコ  カロン・バトラー  ディック・バーネット  ロバート・オーリー  スウェン・ネイター
シラキュース・ナショナルズの選手 ラリー・コステロ  ディック・バーネット  ジョニー・カー  ハル・グリア  ジョー・グラボウスキー

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