ティルパティの存在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/03 14:45 UTC 版)
「ヴィジャヤナガル王国」の記事における「ティルパティの存在」の解説
ティルパティはその後も聖地として扱われ、1681年にゴールコンダ王国の大臣の一人アッカンナー・パーンディト(テルグ地方のバラモン)が訪れており、1687年に皇帝アウラングゼーブがゴールコンダ王国を征服したときも、民衆の抵抗が起こるのを恐れ、この寺院を略奪することはなかったといわれる。 18世紀、ムガル帝国の広大な領土が分裂したのちも、ティルパティは聖地として扱われ、カルナータカ太守サアーダトゥッラー・ハーンの重臣ラーラー・トーダル・マルは自分とその妻の像をおさめ(つまり、自分をかつてのクリシュナ・デーヴァ・ラーヤと同一視している)、マラーター同盟の宰相バージー・ラーオ1世や、ニザーム王国の君主アーサフ・ジャー(彼はムスリムだが)もこの地を訪れている。 そして、現在に至るまで、ティルパティはヴェンカテーシュヴァラ寺をはじめ、かつての古都ヴィジャヤナガル同様にヒンドゥー教徒の聖地である。
※この「ティルパティの存在」の解説は、「ヴィジャヤナガル王国」の解説の一部です。
「ティルパティの存在」を含む「ヴィジャヤナガル王国」の記事については、「ヴィジャヤナガル王国」の概要を参照ください。
- ティルパティの存在のページへのリンク