十三翼の戦い
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十三翼の戦い(じゅうさんよくのたたかい)は、1189年頃[1]、ダラン・バルジュドの地[2]にて、後にモンゴル帝国の祖(チンギス・カン)となるキヤト氏族のテムジンと、その盟友でジャダラン氏族のジャムカとの間で行われた戦い。
- ^ ドーソンp39
- ^ 『元朝秘史』Dalan Barǰud(荅闌巴勒主惕)、『集史』Tālān Bālǰūs、『親征録』荅蘭版朱思と記す。「ダラン」はモンゴル語で「七十」で、「多数」を意味し、「バルジュト」はBarǰunの複数形。ポール・ペリオはこの「Barǰun」をベレジンが満州語とみて、それをモンゴル語のbalčiɤ(泥)の意としたのは、満州語のaimanがモンゴル語のaymaɤとなるのと同じで、この地名の意味を「多くの沼地」とした。ドーソンはDalan<Talaすなわち「平原」と呼んで、この地をインゴダ河に注ぐバルジュナ河の平原と解した説を避けている。ポール・ペリオは『元朝秘史』および『親征録』に現れている記事を考証して、チンギス・カンは初め、ジャムカとオノン河畔のゴルゴナク・ジュブルにあり、そこで別れてオノン河の右の一支流であるキムルカ河のアイル・カラカナに一時駐留し、さらにそののち、西南のセングル小河に移った。セングル小河はダンヴィルの地図によっても明らかなように、ケルレン河の左の一支流で、ブルガン岳の南の地である。したがって、この時のジャムカの攻撃は北方のオノン河畔からケルレン河の上源にあったチンギス・カン側に向けられたのであり、両者の戦場となったダラン・バルジュスは、当然セングル小河の近くに求めなければならない。≪村上p277-278≫
- ^ 村上p270-272
- ^ 村上p150-151
- ^ 宮脇p70
- 1 十三翼の戦いとは
- 2 十三翼の戦いの概要
- 3 参考文献
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