ダブルスでの2度目の現役復帰・混合ダブルスのキャリア・グランドスラム
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「マルチナ・ヒンギス」の記事における「ダブルスでの2度目の現役復帰・混合ダブルスのキャリア・グランドスラム」の解説
2011年にロジャー・フェデラーから2012年ロンドンオリンピックでヒンギスと混合ダブルスのペアで出場したいとの打診を受けていたがこのペアは実現しなかった。 2013年にヒンギスは国際テニス殿堂入りを果たした。32歳での殿堂入りは4番目の若さである。そして8月の南カリフォルニア・オープンからダニエラ・ハンチュコバとのダブルスで現役復帰することを発表した。シングルスへの出場は考えていないと話している。 ハンチュコバとのペアでは好成績を挙げられなかったが2014年3月のソニー・オープンではザビーネ・リシキとのペアで優勝し7年ぶりのダブルス38勝目を挙げた。2014年全米オープンではフラビア・ペンネッタとのペアでノーシードから決勝に進出した。決勝ではエカテリーナ・マカロワ&エレーナ・ベスニナ組に 6–2, 3–6, 2–6 で敗れ準優勝となった。 2015年全豪オープンではリーンダー・パエスと組んだ混合ダブルスで決勝に進出した。決勝では前年優勝のクリスティナ・ムラデノビッチ&ダニエル・ネスター組を 6–4, 6–3 で破り9年ぶりの4大大会ダブルスタイトルを獲得した。パエスとのペアでウィンブルドン、全米オープンの年間4大大会3勝を挙げた。女子ダブルスではサニア・ミルザと組みウィンブルドンと全米オープンで優勝した。 2016年全仏オープン混合ダブルスで優勝を果たし、リーンダー・パエスとともに混合ダブルスでキャリア・グランドスラムを達成した。リオ五輪で20年ぶりのオリンピックに出場した。混合ダブルスでロジャー・フェデラーと組む予定だったが、フェデラーの欠場で取りやめとなった。女子ダブルスではティメア・バシンスキーと組んで決勝に進出。決勝でロシアのマカロワ&ベスニナ組に 4-6, 4-6 で敗れ銀メダルを獲得した。 2017年はウィンブルドンと全米オープンの混合ダブルスでジェイミー・マリーと組んで優勝した。全米では詹詠然と組んだ女子ダブルスも優勝し、通算4大大会タイトルがシングルス5勝、ダブルス13勝、混合ダブルス7勝の計25勝となった。ダブルスランキング1位にも復帰したが、10月に3度目の現役引退を発表した。
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