ダニエル・フェルナンデス_(サッカー選手)とは? わかりやすく解説

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ダニエル・フェルナンデス (サッカー選手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/11 05:38 UTC 版)

ダニエル・フェルナンデス
トゥヴェンテ時代(2012年)
名前
本名 ダニエル・マルシオ・フェルナンデス
Daniel Márcio Fernandes
ラテン文字 Daniel FERNANDES
基本情報
国籍 ポルトガル
カナダ
生年月日 (1983-09-25) 1983年9月25日(41歳)
出身地 エドモントン
身長 195cm
体重 98kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
ユース
バンクーバー・オリンピックス
2000-2001 ポルト
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2002 ポルトB英語版 0 (0)
2002-2003 セルタB 1 (0)
2003 レーゲンスブルク II (loan) 12 (0)
2003-2008 PAOK 90 (0)
2008-2011 ボーフム 32 (0)
2010 イラクリス (loan) 10 (0)
2010-2011 パナシナイコス (loan) 0 (0)
2011 パンセライコス(loan) 7 (0)
2011 CFR 2 (0)
2012-2016 トゥヴェンテ 0 (0)
2014 OFI (loan) 21 (0)
2014-2015 パントラキコス (loan) 4 (0)
2015 サンアントニオ・スコーピオンズ(loan) 14 (0)
2016 ラーヨOKC英語版 31 (0)
2017-2018 リールストロム 3 (0)
2018-2020 ファレンセ 18 (0)
2020-2021 タルシーン・レインボーズ 16 (0)
2021-2022 ビルキルカラ 12 (0)
2022 グジャ・ユナイテッド 0 (0)
代表歴
2002-2003 カナダ U-20 6 (0)
2006 ポルトガル U-21 2 (0)
2007-2009 ポルトガル 2 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ダニエル・マルシオ・フェルナンデスDaniel Márcio Fernandes, 1983年9月25日- )は、カナダ連邦エドモントン出身の元ポルトガル代表サッカー選手。現役時代のポジションはGK

経歴

生い立ち

ポルトガル人の父とチェコ人の母の下で[1]カナダアルバータ州エドモントンに生まれ[2]ブリティッシュコロンビア州イーストバンクーバーで育つ。バンクーバー・オリンピックスが最初に所属したクラブだった。

クラブ

初期

2000年、17歳の時に父の故郷であるポルトガルに渡りFCポルトの下部組織へ入団した。2季の在籍でBチームに登録されたものの出番はなく、スペイン2部セルタ・デ・ビーゴBへ移籍した。

2003年1月にセルタBからドイツ2部SSVヤーン・レーゲンスブルクへ貸し出されたが、ここでもトップチームでの出番がなくバイエルンリーガ英語版を戦うBチームが主戦場となり、同年6月にセルタBへ復帰するも放出された。

PAOK

トライアルを経てギリシャ1部PAOKテッサロニキと契約を締結。最初の2季での出場は僅か4試合にとどまったが、2005年にニコス・カラゲオルギウ英語版監督が解任されクラブのゼネラルマネージャーにして元選手のゲオルギオス・コスティコス英語版が監督に就任すると、すぐさまキリアコス・トフログル英語版に代わり正GKに指名された。この2005-06シーズンはピッチ内外で多くの問題を抱えながらも27試合に出場し、後に債務の問題から出場禁止となった[3]UEFAカップ2006-07出場権獲得となる6位でシーズンを終えることに貢献。以降のシーズンも正GKを務めた。

ボーフム

2008年5月23日に移籍金約120万ユーロでドイツ1部VfLボーフムと締結。以前、PAOKで同僚だったマルチン・ミェンチェル英語版と再会を果たした。移籍1季目は、降格圏内まで僅か勝ち点3の14位と苦しい状況の中で、8月16日のバイエル・レヴァークーゼンとの開幕戦(アウェイ0-1敗北)で初出場を果たして以降、3試合を除き出場し正GKを務めた。しかし、2季目になるとフィリップ・ヘーアヴァーゲン英語版にポジションを奪われベンチを温める日々が続き、さらに、フランク・ハイネマン英語版暫定監督によりBチームに落とされた。その結果、2010年1月18日にギリシャのイラクリス・テッサロニキFCへシーズン終了まで貸し出された[4]。同年夏のパナシナイコスFCと2011年1月のパンセライコスFCへの期限付き移籍を経て、2011年6月30日にボーフムから放出された[5]

ルーマニア / オランダ

2011年8月16日にルーマニア1部王者CFRクルジュと契約を締結[6]。しかし、同胞のベトの存在から出場僅か2試合にとどまり5ヶ月で契約解除となった[7]

2012年1月16日にオランダ1部FCトゥヴェンテと契約[8]

ノルウェー

2017年1月27日、エリテセリエンリールストロムSKと1年契約を交わしたことが発表された[9]

ポルトガル

2018年7月1日、SCファレンセに加入した。34歳にして初めてポルトガルのクラブへ所属することとなった[10]

代表

ユース時代は、当初U-20カナダ代表としてプレーをしていた[2]が、その後、父の母国であるポルトガルを選択し、2006年にU-21ポルトガル代表として初出場をした[11]

2006年11月にポルトガルA代表へ初招集を受けるも、この時はリカルド・ペレイラキムに次ぐ3番手のため出場は訪れなかった。翌年5月にEURO2008予選ベルギー戦と親善試合のクウェート戦へ向け、ルイス・フェリペ・スコラーリ監督の下で再招集され[12]、6月のクウェート戦(1-1)で66分にキムと交代で初出場を飾った。2009年2月のフィンランド戦(1-0勝利)では、今度はエドゥアルドと交代で出場2試合目を記録した。

2010年5月に2010 FIFAワールドカップのメンバーに選出される[13]も、エドゥアルドとベトに次ぐ3番手だった[14]ため出場はなかった。以降は、ルイ・パトリシオの台頭もあり招集機会が減少している。

私生活

2人の弟を持つ。また、ノルウェー人の女性と結婚し、娘を1人授かっている。

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 2試合 0得点(2007年-2009年)[15]


ポルトガル代表 国際Aマッチ
出場 得点
2007 1 0
2008 0 0
2009 1 0
通算 2 0

タイトル

CFR

脚注

外部リンク




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