タルチシオ・ブルニチとは? わかりやすく解説

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タルチシオ・ブルニチ

(タルチジオ・ブルニチ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 07:41 UTC 版)

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タルチシオ・ブルニチ
名前
ラテン文字 Tarcisio Burgnich
基本情報
国籍 イタリア
生年月日 (1939-04-25) 1939年4月25日
出身地 ルーダ
身長 175cm
体重 72kg[1]
選手情報
ポジション DF
ユース
ウディネーゼ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1958-1960 ウディネーゼ 8 (0)
1960-1961 ユヴェントス 13 (0)
1961-1962 パレルモ 31 (1)
1962-1974 インテル 358 (5)
1974-1977 ナポリ 84 (0)
代表歴
1963–1974[2] イタリア 66 (2)
監督歴
1978-1980 リヴォルノ
1980-1981 カタンザーロ
1981-1982 ボローニャ
1982-1984 コモ
1984-1986 ジェノア
1986-1987 ヴィチェンツァ
1987-1988 コモ
1988-1989 カタンザーロ
1989-1991 クレモネーゼ
1991-1992 サレルニターナ
1995-1997 フォッジャ
1997-1998 ジェノア
1998-1999 ルッケーゼ
1999-2000 テルナーナ
2000-2001 ペスカーラ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

タルチシオ・ブルニチTarcisio Burgnich1939年4月25日 - 2021年5月26日[3])は、イタリアルーダ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはDF(スイーパー、右サイドバック)。

経歴

SSCナポリのユース出身。1958年ウディネーゼでデビューし、ユヴェントスパレルモを経て1962年インテルへ加入。エレニオ・エレーラに率いられグランデ・インテルと呼ばれたインテルの一員として多くのタイトルに恵まれた。インテルでは12年所属し、467試合に出場した。1974年にナポリへ移籍し、1977年に引退した。

イタリア代表としても10年以上に亘って活躍、1968年にはUEFA欧州選手権優勝に貢献した。FIFAワールドカップにも3度出場し、1970年大会ではブラジル代表に敗れるも準優勝となった。決勝で対戦したペレは、「試合前、"彼も他の人と同じく皮と骨でできている"と自分に言い聞かせたが、それは間違いだった(I told myself before the game, he's made of skin and bones just like everyone else. But I was wrong.)」と語った[4]

引退後、1978年ASリヴォルノ・カルチョの監督に就任。その後も多くのチームを率いた。

獲得タイトル

注釈




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