ステチュツィ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 19:12 UTC 版)
ステチュツィ Stećci [stetɕtsi] (単数: Stećak [stetɕak])はボスニア・ヘルツェゴビナや中世にボスニア王国の領域であったクロアチア(ダルマチア)、モンテネグロ、セルビアとボスニア・ヘルツェゴビナの国境付近に散在する巨大な中世の墓碑である。現代のボスニア・ヘルツェゴビナ国内ではおよそ6万が、クロアチアやセルビア、モンテネグロでは1万のステチュツィが発見されている。[1]ステチュツィが現れ始めたのは11世紀のことで、これらがピークを迎えたのはオスマン帝国の支配により消える以前の14世紀や15世紀のことであった。ステチュツィの墓碑は中世のボスニア王国や当時異端とされていたボスニア教会に属していた。ステチュツィの墓碑のエピタフ(墓碑銘)にはボスニアキリル文字(ボサンチィツァ"Bosančica" [bosaŋtʃitsa])が記され、文字はボスニア教会のコミュニティで広く使われていた。ステチュツィの最大のコレクションはヘルツェゴビナの町ストラツ近くのラディムリャにある。
- ^ Sito-Sucic, Daria (2009年11月2日). “Balkans to nominate medieval tombstones to U.N. list”. Reuters
- ^ Fine, John. The Bosnian Church: Its Place in State and Society from the Thirteenth to the Fifteenth Century: A New Interpretation. London: SAQI, The Bosnian Institute, 2007. ISBN 0-86356-503-4
- ^ Noel Malcolm: Geschichte Bosniens. S.Fischer Verlag, Frankfurt am Main 1996, ISBN 3-10-029202-2, S. 48.
- ^ Fine, John V. A. (1991). The Late Medieval Balkans: A Critical Survey from the Late Twelfth Century to the Ottoman Conquest. University of Michigan Press. p. 486. ISBN 0-472-08149-7
- 1 ステチュツィとは
- 2 ステチュツィの概要
- 3 世界遺産
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