ジョン・リーチ (イギリス海軍軍人)とは? わかりやすく解説

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ジョン・リーチ (イギリス海軍軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/18 13:57 UTC 版)

ジョン・カテラル・リーチ
John Catterall Leach
生誕 (1894-09-01) 1894年9月1日
死没 1941年12月10日(1941-12-10)(47歳没)
南シナ海マレー半島東方沖)、戦艦プリンス・オブ・ウェールズ艦上
所属組織 イギリス海軍
軍歴 1907年 - 1941年
最終階級 海軍大佐
配偶者 イヴリン・リー
子女 サー・ヘンリー・リーチ英語版第一海軍卿
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ジョン・カテラル・リーチ: John Catterall Leach, DSO MVO、1894年9月1日 – 1941年12月10日)は、イギリス海軍軍人。最終階級は海軍大佐戦艦プリンス・オブ・ウェールズの初代艦長を務めたが、マレー沖海戦で戦死した。

生涯

1907年、 士官候補生 カデットとしてイギリス海軍に入隊した[1]

1914年5月、戦艦エリン乗組となり、同年2月には中尉となる[2]。その年に第一次世界大戦が始まり、リーチの乗艦エリンもユトランド沖海戦に参加したが、エリンは一発も発砲する機会がないまま終わっている[3]。海戦後の6月、リーチは大尉心得に進んだ[2]。またこの年にイブリン・リー(Evelyn Lee、1892年–1969年)と結婚している[2][4]

戦後も昇進を続け、1923年に少佐、1928年に中佐、1933年には大佐に進級した[1][2]

1939年、第二次世界大戦が勃発した。リーチも従軍し、戦争の最前線で行動した。

1941年、リーチは竣工したばかりの最新鋭艦プリンス・オブ・ウェールズの初代艦長となる。

5月、ドイツ海軍は、イギリスの通商破壊を目論んで、戦艦ビスマルクを大西洋に進出させた。ジョン・トーヴィー本国艦隊司令長官率いるイギリス海軍は事前にこの動きを察知し、ビスマルク迎撃戦力として、戦艦プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦フッドを派遣した[5]。やがて英独両艦隊は会敵し、デンマーク海峡海戦が始まった。海戦後ほどなく、敵艦ビスマルクの第5斉射の一弾が味方のフッドに命中し、フッドは爆沈を遂げた[6]。この劇的な展開にもリーチは怯まず戦闘を継続した。プリンス・オブ・ウェールズは沈みつつあるフッドを横目に主砲弾を放ち、3発をビスマルクに命中させた[6]。ただしプリンス・オブ・ウェールズも無傷ではなく、フッド轟沈から10分も経たないうちに敵艦ビスマルクの主砲弾4発を被弾した[7]。このうちの一弾が艦橋を貫通して炸裂し、リーチと掌信号長を除く幕僚全員が戦死した[注釈 1][7]

12月、プリンス・オブ・ウェールズはチャーチル首相の要請で東洋艦隊に編入された。第二次世界大戦に参戦した日本からシンガポールなどのイギリス権益を守る意味合いの編入だった[9]。12月2日、リーチやサー・トーマス・フィリップス東洋艦隊司令長官もシンガポールセレター英語版に到着した。久しぶりにセレター軍港で息子ヘンリー英語版と再会したリーチは、ヘンリーと一緒に海を泳ぐなどしてつかの間の休息を楽しんだという[10]

8日夜、プリンス・オブ・ウェールズはマレー作戦を進める日本軍の補給線(輸送船団)を断つべくセレター軍港を出港した[11]。10日、日本側もこの動きを知り、日本海軍の第二十二航空戦隊(司令:松永貞一少将)が東洋艦隊を発見、両軍が相まみえてマレー沖海戦が始まった。戦艦に対する航空威力はすさまじく、プリンス・オブ・ウェールズは爆弾1発、魚雷6発(4発の説もあり)を受けて沈没した。リーチも艦と運命を共にし、フィリップス司令長官を含む327名の乗員とともに戦死した[12]

10日夜、息子ヘンリーは身体じゅう油まみれのプリンス・オブ・ウェールズ生存者の一人から父親の戦死を知らされたという[4]。この息子はのちに制服組トップの第一海軍卿となり、フォークランド紛争を指揮することとなる[4]

脚注

注釈

  1. ^ 直後、損傷を負ったプリンス・オブ・ウェールズは戦場を離脱したが、ロイヤル・ネイビーの象徴であったフッドを沈められた海軍の怒りはすさまじく、本国艦隊の総力をあげて追撃戦を行い、ビスマルクを沈没に追い込んだ[8]

出典

  1. ^ a b “Seven roads in Bovey Tracey named after WW2 veterans” (英語). (2023年8月15日). https://www.bbc.com/news/uk-england-devon-66498821 2025年4月5日閲覧。 
  2. ^ a b c d John Catterall Leach - Lives of the First World War”. livesofthefirstworldwar.iwm.org.uk. 2025年4月5日閲覧。
  3. ^ 宮永, 忠将 著、市村 弘 編『世界の戦艦プロファイル ドレッドノートから大和まで』大日本絵画、東京都千代田区、2015年、22頁。ISBN 9784499231527 
  4. ^ a b c Liardet, Guy (23 September 2004) [2004]. "Leach, Sir Henry Conyers". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/103814 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  5. ^ 高田 (2018), p. 123.
  6. ^ a b 高田 (2018), p. 124.
  7. ^ a b 高田 (2018), p. 125.
  8. ^ 高田 (2018), p. 125-126.
  9. ^ 高田 (2018), p. 126.
  10. ^ 100th anniversary of the birth of Sir Henry Leach” (英語). www.royalnavy.mod.uk. 2025年4月5日閲覧。
  11. ^ 高田 (2018), p. 127.
  12. ^ 高田 (2018), p. 127-128.

参考文献

  • 高田, 泰光 編『英戦艦「キング・ジョージ5世」級』 2018 No.885、海人社〈世界の艦船9月増刊号〉、2018年8月18日。ASIN B07G2CJMM9 



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