ジョン・スミス (醸造家)
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ジョン・スミス(John Smith、1824年3月18日 - 1879年9月9日)は、イングランドの醸造家。ノース・ヨークシャー州タドカスターに現在も存続しているジョン・スミス・ブルワリーの経営者として最もよく知られている。
経歴
スミスは、1824年3月18日、リーズに、地元出身の裕福な肉屋でなめし革屋でもあったサミュエル・スミス (Samuel Smith) の5人の子どもたちの長子として生まれた[1][2]。
1847年、ジョン・スミスは、父から提供された資金で、バックハウス・アンド・ハートリー醸造所 (the Backhouse & Hartley brewery) を買収した[3]。スミスが買収したタイミングは絶妙で、すぐにポーターに代わってペールエールが人々の人気を最も集めるビールとなり、また、タドカスターの硬水がこの新しい醸造法に適していたことが明らかになった[4]。1850年代から1860年代に成功を収め、さらに鉄道が到来したことによって、醸造家たちにはより大きな機会が訪れ、1861年にスミスは新たに8人を雇い入れて醸造とモルティングの事業に当たらせた[1]。
19世紀の最後の四半世紀には、この事業は相当の規模に達した[5]。スミスは、1879年9月9日にタドカスターで死去し、遺された資産は45,000ポンド弱(2013年現在の330万ポンド程度に相当)に上り、ふたりの弟たち、ウィリアム(William:ジェントルマン)とサミュエル(Samuel:サミュエル・スミス・ブルワリー創業者、なめし革屋)が共同でこれを相続した[1][6]。
脚注
- ^ a b c Wilson, R.G. "Smith, John"', Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, accessed 19 August 2011 (要購読契約)
- ^ "West Yorkshire Archive Service", Yorkshire Parish Records, Reference RDP68/3A/5, p. 344.
- ^ "Brought To Book, The Brewers Who Made a Name for Themselves", Yorkshire Post (online), accessed 23 June 2012
- ^ Terry Gourvish; Richard G. Wilson (September 2003). The Dynamics of the Modern Brewing Industry. Taylor & Francis. p. 99. ISBN 978-0-203-44069-8 2013年7月24日閲覧。.
- ^ Sigsworth, Eric M. (1967). The Brewing Trade During the Industrial Revolution: The Case of Yorkshire. Borthwick Publications. p. 14. ISBN 978-0-900701-31-3 2013年4月20日閲覧。.
- ^ Principal Probate Registry, England & Wales, National Probate Calendar (Index of Wills and Administrations), 1858-1966
「ジョン・スミス (醸造家)」の例文・使い方・用例・文例
- トム・ホールことジョン・スミス
- ジョン・スミスより謹呈
- ジョン・スミスという名前の人が私を訪ねてきました
- ジョン・スミスさんとお話したいです。
- ジャックとペギーの結婚式はジョン・スミス師により行われた。
- 住所不定のジョン・スミス.
- ジョン・スミス別名ジェイムズ・ジョンソン, ジェイムズ・ジョンソンこと本名ジョン・スミス.
- ジョン・スミス・ジュニア
- 会社の社長はジョン・スミスである
- ジェームズタウンの英国人に味方し、キャプテン・ジョン・スミスの命を救ったといわれるパウハタン・インディアンの女性(パウハタン酋長の娘)
- プロの暗殺者であるジョン・スミス(ブラッド・ピット)とジェーン(アンジェリーナ・ジョリー)はコロンビアにあるホテルのロビーで出会う。
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