ジャーンシー王妃連隊とは? わかりやすく解説

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ジャーンシー王妃連隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/03 08:37 UTC 版)

ジャーンシー王妃連隊
Rani of Jhansi Regiment
創設 1943年7月12日
(訓練開始は10月23日)
解散 1945年5月
国籍 自由インド仮政府
軍種 陸軍
兵科 歩兵連隊、看護部隊
任務 戦列歩兵、ゲリラ兵
規模 約1,000名
上級部隊 インド国民軍
基地 シンガポールラングーンバンコク
戦歴

第二次世界大戦

著名な司令官 ラクシュミ・スワミナサン
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ジャーンシー王妃連隊(Rani of Jhansi Regiment)は1942年、イギリスによるインドの植民地支配の打倒を目指し、インドの独立運動家英語版大日本帝国の援助を得て東南アジアで結成した武装勢力、インド国民軍の女性連隊である。第二次世界大戦における女性だけで構成された戦闘部隊の一つ。ラクシュミ・スワミナサン英語版大尉を指揮官とし、1943年7月に東南アジアインド系移民の中から志願した兵士により構成されていた[1]。インドの女王で自由の闘士として名高いジャーンシーラクシュミー・バーイー王妃[2]にちなんで「ジャーンシー王妃連隊」と命名された。

設立

スバス・チャンドラ・ボースは、1943年7月12日に連隊の結成を発表した[3]。メンバーのほとんどはイギリス領マラヤのゴム農園出身のインド系の10代の志願者で、インドに行ったことのある者はほとんどいなかった[4]。 最初の部隊の中核はシンガポールの訓練キャンプ[5]で確立され、およそ170人の士官候補生がいた[5]。その後、ラングーンバンコクにもキャンプが設けられ、1943年11月には300人以上の士官候補生を抱えるに至った[5]

隊長のラクシュミ・スワミナサンは、著名な独立運動家でインド制憲議会英語版議員を務めたアンム・スワミナサン英語版の娘であり、自由インド仮政府において女性担当大臣を努めていた。また副隊長となったジャナキ・アティ・ナハッパン英語版はマラヤの裕福なタミル人の出身であった。

訓練

シンガポールでの訓練は1943年10月23日に始まった[6]。新兵は部門と小隊に分けられ、教育資格に応じて下士官とセポイ(兵卒)の階級が与えらた。これらの士官候補生は、教練、行軍、射撃、手榴弾投擲、銃剣突撃による武器訓練を含む軍事訓練と戦闘訓練を受けた。その後、多くの士官候補生がビルマでのジャングル戦のより高度な訓練のために選ばれた[5]。1944年3月30日には500人の部隊により、シンガポール訓練所で最初の卒業パレードを挙行した[5]

また、約200名の士官候補生が看護師養成のために選抜され、ムガル帝国と戦った王妃チャンド・ビビ英語版にちなんだ『チャンド・ビビ看護兵団』を形成した[7]

行軍履歴

インド国民軍のインパール作戦の間、約100名のジャーンシー王妃連隊の初動部隊がメイミョーに移動した。その一部は、インパールを陥落させた後、ベンガルのヒンドゥスターン平野に侵入する前衛部隊を形成すること意図していた。部隊の一部はメイミョーの軍病院で看護隊を編成した。インパールの包囲が失敗し、国民軍が悲惨な撤退をした後、王妃連隊はモンユワやメイミョーに到着した国民軍部隊の救援と看護を調整する役割を担い、戦闘には使用されなかった。

連隊の終焉

ラングーンが崩壊し、自由インド仮政府とスバス・チャンドラ・ボースがビルマに撤退すると、もともとビルマにいた部隊は解散を許され、連隊の残りは撤退する日本軍と共に徒歩で、利用可能な場合は車両で退却した。退却の間、連合軍による空襲とビルマのレジスタンスからの攻撃を受けた。死傷者の総数は不明である。この後、部隊は解散した。


戦後

隊長のスワミナサン大尉は1945年5月にイギリスに逮捕され、1946年3月までビルマに留めおかれた後、インドに送られた。当時、首都デリーではインド国民軍裁判英語版によってインド国民のイギリス植民地支配への不満が高まっており、英領インドの終焉も近づいていた[8]

スワミナサンは1947年に国民軍の将校であったプレム・サーガル英語版と結婚し、サーガル姓を称した。1971年にインド共産党マルクス主義派に入党し、2002年インド大統領選挙英語版において左翼戦線の主要候補にもなった[9]。彼女の娘であるスバシニ・アリ英語版もインド共産党マルクス主義派で政治家となっている。また、副隊長のナハッパンはマレーシア・インド人会議の創設時に強い支援を行っている。

脚注

  1. ^ Joyce Lebra, Women Against the Raj: The Rani Jhansi Regiment (2008) ch. 1–2
  2. ^ Edwardes, Michael (1975) Red Year: the Indian Rebellion of 1857. London: Sphere; p. 126
  3. ^ Indian National Army: Women's Regiment: How It All Began”. www.nas.gov.sg. National Archives of Singapore (2003年). 2015年2月18日閲覧。
  4. ^ Lebra, ch 2
  5. ^ a b c d e Indian National Army: Women's Regiment: Life in camp”. www.nas.gov.sg. National Archives of Singapore (2003年). 2015年2月18日閲覧。
  6. ^ Sahgal, Lakshmi (2012年7月23日). “My days in the Indian National Army by Lakshmi Sahgal”. NDTV-New Delhi Television. http://www.ndtv.com/india-news/my-days-in-the-indian-national-army-by-lakshmi-sahgal-493887 2015年2月18日閲覧。 
  7. ^ Meeta Deka, Women's agency and social change: Assam and beyond (2013) ch. 4
  8. ^ Menon, Parvathi (2012年7月23日). “Captain Lakshmi Sahgal (1914 - 2012) - A life of struggle”. The Hindu (Chennai, India). http://www.thehindu.com/news/national/article3672666.ece?homepage=true 2012年7月23日閲覧。 
  9. ^ Pradeep, K. (2012年7月25日). “A revolutionary and a singer”. The Hindu. http://www.thehindu.com/features/metroplus/a-revolutionary-and-a-singer/article3682419.ece?ref=relatedNews 2015年2月18日閲覧。 

参考文献

関連項目

外部リンク




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