ジャールカンド開発戦線_(民主主義)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ジャールカンド開発戦線_(民主主義)の意味・解説 

ジャールカンド開発戦線 (民主主義)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 21:34 UTC 版)

インド政党
ジャールカンド開発戦線(民主主義)
Jharkhand Vikas Morcha (Prajatantrik)
党首 バブラル・マランディ
成立年月日 2006年9月24日
解散年月日 2020年2月17日
後継政党 インド人民党
本部所在地 ハザーリーバーグ
政治的思想・立場 包括政党
シンボル
公式サイト Jharkhand Vikas Morcha
テンプレートを表示

ジャールカンド開発戦線(民主主義)[1](ジャールカンドかいはつせんせん(みんしゅしゅぎ)、Jharkhand Vikas Morcha (Prajatantrik))は、かつて存在したインド政党ジャールカンド州地方政党であった。略称は「JVM-P」。

概要

インド人民党(BJP)のローク・サバー(連邦下院)議員であったバブラル・マランディ英語版がBJPのジャールカンド州知事アルジュール・ムンダ英語版を批判して離党し、2006年に結成した政党である。この際にマランディは連邦下院議員を辞職し、直後の補欠選挙に出馬して当選した。

2009年連邦下院選挙でJVM-Pは14人の候補者を立て、マランディが再選されて1議席を得た[2]。同年の州議会選挙にも同党は初参戦し、全81議席のうち11議席を獲得して第4党の地位を得た[3]。BJPから内部分裂して成立したJVM-Pだったが、ジャールカンド州内ではインド国民会議派(INC)やジャールカンド解放戦線(JMM)とも微妙な関係にあった。そのため、連邦レベルではINC主導の統一進歩同盟にもBJP主導の国民民主同盟にも与さなかった。

2014年連邦下院選挙では、対立政党BJPの躍進を前に苦戦、JVM-Pはマランディを含む候補全員が落選した[4]

2020年2月にインド人民党に合流した。

  1. ^ 『月刊インド』(財団法人日印協会)106巻5号、2009年6月、10頁の表記に拠った。[1]
  2. ^ 豊田(2011)、69-70頁。
  3. ^ インド選挙管理委員会ホームページ [2]
  4. ^ BJP decimates Congress-JMM in Jharkhand, wins 12 of 14 LS seats“IDN Live”、2014年5月17日(2014年5月17日閲覧)

参考文献

  • 豊田秀夫執筆部分、広瀬崇子・北川将之・三輪博樹『インド民主主義の発展と現実』勁草書房、2011年。ISBN 978-4-326-30195-9 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ジャールカンド開発戦線_(民主主義)」の関連用語

ジャールカンド開発戦線_(民主主義)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジャールカンド開発戦線_(民主主義)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジャールカンド開発戦線 (民主主義) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS