ジャン・ド・モンフォールの捕獲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 07:53 UTC 版)
「ブルターニュ継承戦争」の記事における「ジャン・ド・モンフォールの捕獲」の解説
ブルターニュの貴族の多くはシャルル・ド・ブロワを支持していたため、ジャン・ド・モンフォールは開戦後、先手を取り首都のナント、リモージュ等の主要都市を押さえ、8月までにレンヌ、ヴァンヌを含むブルターニュ公領の大部分を支配下に収めた。 1341年当時、イングランドとフランスは停戦協定を結んでいたため、エドワード3世は動けなかったが、フィリップ6世は国内問題であるとして積極的にシャルル・ド・ブロワを支援して、10月にシャントソーの戦いで勝利し、ナントを陥落させてジャン・ド・モンフォールを捕虜とした。
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