ジャック・アミヨとは? わかりやすく解説

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ジャック・アミヨ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/30 21:08 UTC 版)

ジャック・アミヨ
ムランにあるアミヨの生家

ジャック・アミヨ(Jacques Amyot, 1513年10月30日1593年2月6日[1])は、フランスルネサンス期の翻訳家人文主義者プルタルコスの仏訳で名高い。

人物・来歴

ムランの貧しい家庭に生まれた。16歳でパリ大学に進学、19歳で修士。1535年、ギリシア語の学識を買われ、ブールジュで国王高官の子息の教育係として迎えられた。翌年マルグリット・ド・ヴァロワの仲立ちにより、ブールジュ大学でラテン語とギリシア語を講じる。この頃ソポクレスエウリピデスなどのギリシア悲劇を訳し始め、プルタルコス『対比列伝』の部分訳が国王フランソワ1世に評価され、1547年ベロザンヌ大修道院長に任命された。1548年から4年間イタリアに滞在し、プルタルコスの原典研究など、文献調査に取り組んだ。1554年ディオドロスの歴史書の翻訳を国王アンリ2世に献上し、その王子、のちのシャルル9世アンリ3世の教育係に任じられた。1559年『対比列伝』訳が17年の歳月を経て完成、出版される。1560年シャルル9世の即位とともに宮中司祭に、1570年オセールの司教に就任、貧しい出自ながら国王の庇護のもとで栄達を重ねた。晩年はユグノー戦争で国王側の人間として攻撃を受け、零落の一途をたどった。

訳業

通俗語として軽んじられていたフランス語を洗練させて用い、敬遠されがちだったギリシア古典を翻訳、広く普及させた。度量衡の単位や役職を当時のフランスのものに置き換えるなど、翻案の側面があり、毀誉褒貶相半ばしたが、フランス文化に及ぼした影響は大きい。主な訳業として1547年ヘリオドロス『エティオピア物語』、1554年ディオドロスの歴史書、1559年ダフニスとクロエ、1572年プルタルコス『倫理論集』などがある。1559年に完訳した『対比列伝』は、モンテーニュらに影響を与えたほか、1579年にトマス・ノースが英語に重訳し、シェイクスピアの古代史劇『ジュリアス・シーザー』『アントニーとクレオパトラ』『コリオレイナス』に活かされた。

脚注

  1. ^ Jacques Amyot | French scholar”. Britannica. 2024年10月30日閲覧。

参考文献





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