ジッキンゲンとルター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 21:26 UTC 版)
1521年春、既に教会からは破門を宣告されていたルターのもとへ、皇帝カール5世から帝国議会へ来るように召喚状が届いた。異端による破門宣告を受けているということは、捕まって教会の手に渡れば殺される可能性がある。カール5世は、ルターの身の安全は保証すると約束したが、100年前のヤン・フスは皇帝に身の安全を保証されて出向いた公会議で捕縛されて火あぶりにされている。ルターが帝国議会へ出るには、同じような危険があった。 このとき、フッテンがジッキンゲンにルターの件を話すと、ジッキンゲンはルターの主張に共鳴したという。以来ジッキンゲンは、宗教改革の最初期における、ルターの軍事面での庇護者としてザクセン選帝侯とならぶ存在として振る舞った。ジッキンゲンは、自らカール5世にルターを保護するよう書簡を出すとともに、部下のブツァーを帝国議会のあるヴォルムスへ向かう道中のルターのもとへ送り、ジッキンゲンの本拠であるエーベルンベルク城に逃れるよう、進言させた。しかしこのときルターはその申し出を断った。
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