ジェラルド・ファネンブルグ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/20 00:11 UTC 版)
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名前 | ||||||
本名 | ジェラルド・メルウィン・ファネンブルグ | |||||
愛称 | ジェラ | |||||
カタカナ | ジェラルド・ファネンブルグ | |||||
ラテン文字 | Gerald Mervin VANENBURG | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ![]() ![]() |
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生年月日 | 1964年3月5日(61歳) | |||||
出身地 | ユトレヒト | |||||
身長 | 172cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF、DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1980-1986 | ![]() |
173 | (64) | |||
1986-1993 | ![]() |
199 | (48) | |||
1993-1996 | ![]() |
86 | (14) | |||
1996-1997 | ![]() |
9 | (2) | |||
1997-1998 | ![]() |
26 | (6) | |||
1998-2000 | ![]() |
42 | (2) | |||
通算 | 535 | (136) | ||||
代表歴 | ||||||
1982-1992 | ![]() |
42 | (1) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジェラルド・ファネンブルグ(Gerald Vanenburg、1964年3月5日 - )は、オランダ・ユトレヒト出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはMF、DF(リベロ)。オランダ現地での発音は「ヘラルト・ファネンブルフ」。
略歴
アヤックスの下部組織で育ち1980年に1軍デビューを果たすと、直ぐに頭角を現しレギュラーの座を掴むと3度のリーグ優勝に貢献した。この活躍によりオランダ代表に選出され、1982年4月14日のギリシャ戦において代表デビューを果たした。
その後は伸び悩んでいた中[2]、1986-1987シーズンにはPSVアイントホーフェンへ移籍し中心選手として活躍をみせ、5度のリーグ優勝に貢献。、1987-88シーズンにはUEFAチャンピオンズカップ決勝のベンフィカ戦では先発フル出場、PK戦では4人目のキッカーとしてPKを成功させ優勝を果たした[3]。1988-89シーズン開幕前にはミカエル・ラウドルップとのトレードでユベントス移籍の話も出ていたが、チームと4年間の契約を延長した[2]。同年日本で開催されたインターコンチネンタルカップのナショナル戦に先発出場したが、69分に交代、チームは2-2から延長PK戦の末に敗れた[4]。
EURO1988では右ウイングの位置から中盤を組み立て優勝に貢献した[5]。1990年のイタリアW杯ではグループリーグ初戦のエジプト戦で先発出場したが、後半開始から途中交代を命じられ[6]、その1試合のみの出場に留まった。1992年10月14日のFIFA ワールドカップ 1994予選、ポーランド戦で途中交代で出場を果たしたが[7]、この試合が代表最後の試合となった。
1993年には日本代表監督であったハンス・オフトから誘われる形で、当時JFLのヤマハ発動機(ジュビロ磐田)へ入団、広い視野[8]、高いテクニックと左足の正確なキックを武器にチームに貢献[9]、その後迎える磐田の黄金時代に大きな影響を与えた[10]。1994年度には週刊サッカーマガジンが選出したJリーグ年間ベストイレブンに選出されている(ポイントは第1位)[11]。
1994年4月13日のジェフユナイテッド市原戦でJリーグ初ゴールを決めた[12]。加入当初は中盤の司令塔としてプレーしたが[10]、ドゥンガの加入後はリベロとしてプレーした[10]。1995年は古傷である左膝の状態が悪く、1stステージ序盤から終盤まで欠場、複帰後もフル出場は出来ない状態であった[13]。1996年9月21日、第20節のアビスパ福岡戦で2ゴール(2点目のゴールは磐田での最後のゴール)を決めて勝利に貢献するなどの活躍をしていたが[14]、その後は負傷で第22節から25節まで欠場、10月26日、第26節のジェフ市原戦で複帰、74分から藤田俊哉との交代で出場するも、その試合で負傷し、82分に交代を強いられ[15]、この試合が磐田でも最後の試合となった。Jリーグ通算は86試合14ゴールの成績を残した[12]。
磐田退団後は故郷のクラブチーム・FCユトレヒトへ移籍した。その後フランスのASカンヌを経て、2000年、ドイツ・ブンデスリーガ・1860ミュンヘンを最後に現役を引退した。
引退後はPSVユースの監督、かつて在籍した1860ミュンヘンの監督を務めた。その後再びPSVの育成部門に復帰したが2006年3月現在フリー。2005年12月にはオランダサッカー協会の指導者ライセンスを取得している。
トピックス
所属クラブ
- 1980年-1986年
アヤックス
- 1986年-1993年
PSVアイントホーフェン
- 1993年-1996年
ヤマハ発動機/ジュビロ磐田
- 1996年-1997年
ユトレヒト
- 1997年-1998年
ASカンヌ
- 1998年-2000年
1860ミュンヘン
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | KNVBカップ | 期間通算 | |||||||
1980-81 | アヤックス | エールディヴィジ | 11 | 3 | |||||||
1981-82 | 32 | 13 | |||||||||
1982-83 | 33 | 17 | |||||||||
1983-84 | 34 | 7 | |||||||||
1984-85 | 29 | 12 | |||||||||
1985-86 | 34 | 12 | |||||||||
1986-87 | PSV | 34 | 9 | ||||||||
1987-88 | 34 | 1 | |||||||||
1988-89 | 34 | 10 | |||||||||
1989-90 | 21 | 6 | |||||||||
1990-91 | 29 | 11 | |||||||||
1991-92 | 19 | 7 | |||||||||
1992-93 | 28 | 4 | |||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1993 | ヤマハ | 旧JFL1部 | - | 4 | 2 | 1 | 0 | 5 | 2 | ||
1994 | 磐田 | - | J | 43 | 8 | 4 | 0 | 1 | 0 | 48 | 8 |
1995 | 21 | 1 | - | 2 | 1 | 23 | 2 | ||||
1996 | 22 | 5 | 12 | 3 | 0 | 0 | 34 | 8 | |||
オランダ | リーグ戦 | リーグ杯 | KNVBカップ | 期間通算 | |||||||
1996-97 | ユトレヒト | エールディヴィジ | 9 | 2 | |||||||
フランス | リーグ戦 | F・リーグ杯 | フランス杯 | 期間通算 | |||||||
1997-98 | カンヌ | ディヴィジョン・アン | 26 | 6 | |||||||
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
1998-99 | 1860ミュンヘン | ブンデスリーガ | 27 | 2 | |||||||
1999-00 | 15 | 0 | |||||||||
通算 | オランダ | エールディヴィジ | 381 | 114 | |||||||
日本 | J | 86 | 14 | 16 | 3 | 3 | 1 | 105 | 18 | ||
日本 | 旧JFL1部 | - | 4 | 2 | 1 | 0 | 5 | 2 | |||
フランス | デヴィジョン・アン | 26 | 6 | ||||||||
ドイツ | ブンデスリーガ | 42 | 2 | ||||||||
総通算 | 535 | 136 |
代表歴
試合数
- 国際Aマッチ 42試合 1得点(1982年-1992年)[17]
オランダ代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1982 | 4 | 0 |
1983 | 5 | 1 |
1984 | 0 | 0 |
1985 | 0 | 0 |
1986 | 4 | 0 |
1987 | 7 | 0 |
1988 | 10 | 0 |
1989 | 4 | 0 |
1990 | 6 | 0 |
1991 | 1 | 0 |
1992 | 1 | 0 |
通算 | 42 | 1 |
指導歴
- 2001年-2004年
PSVアイントホーフェン ユース監督
- 2004年
TSV1860ミュンヘン 監督
- 2006年-2007年
ヘルモント・スポルト 監督
- 2008年
FCアイントホーフェン 監督
- 2008年
ヴィレムII コーチ
タイトル
選手時代
- アヤックス・アムステルダム
- PSVアイントホーフェン
- エールディヴィジ:5回(1986-87、1987-88、1988-89、1990-91、1991-92)
- KNVBカップ:3回(1987-88、1988-89、1989-90)
- ヨハン・クライフ・スハール:1回(1992)
- UEFAチャンピオンズカップ:1回(1987-88)
- オランダ代表
- 個人
- ハウデン・スヒューン:2回(1988、1989)
出典
- ^ “Gerald Vanenburg - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ a b トヨタカップ 1988大会公式パンフレット P.24-25
- ^ “PSV Eindhoven - SL Benfica 1988 match sheet”. www.transfermarkt.com. 2020年4月26日閲覧。
- ^ “Club National -PSV Eindhoven Dec11 1988 match sheet”. www.transfermarkt.com. 2020年4月26日閲覧。
- ^ a b “ラウドルップ、ストイコヴィッチ、リュングベリ…ユーロでプレーした歴代外国人Jリーガーを振り返る ページ4”. excite.co.jp. (2016年6月24日) 2020年4月8日閲覧。
- ^ “Netherlands - Egypt Jun12 1990 match sheet”. www.transfermarkt.com. 2020年4月26日閲覧。
- ^ “Netherlands - Poland Oct14 1992 match sheet”. www.transfermarkt.com. 2020年4月26日閲覧。
- ^ “福西崇史が選ぶJ歴代ベスト11「ドゥンガから口酸っぱく言われたことは…」”. www.soccerdigestweb.com 2020年4月26日閲覧。
- ^ “ジュビロ磐田、歴代最強外国籍選手5人。ドゥンガ、スキラッチ…黄金期の礎を築いたスターたち”. www.footballchannel 2020年4月26日閲覧。
- ^ a b c “ラウドルップ、ストイコヴィッチ、リュングベリ…ユーロでプレーした歴代外国人Jリーガーを振り返る ページ5”. excite.co.jp. (2016年6月24日) 2020年4月8日閲覧。
- ^ 週刊サッカーマガジン 12/21 no.485号 p.104-105 ベースボールマガジン社
- ^ a b “ファネンブルグ”. j-league 2020年4月8日閲覧。
- ^ 週刊サッカーマガジン 1996年2月21日 No.543 P.14-15
- ^ “1996Jリーグ 第20節”. j-league 2020年4月8日閲覧。
- ^ “1996Jリーグ 第26節”. j-league 2020年4月8日閲覧。
- ^ サッカーマガジン 1988年9月号 no.353 p.20-32
- ^ ジェラルド・ファネンブルグ - National-Football-Teams.com
関連項目
外部リンク
- ジェラルド・ファネンブルグ - National-Football-Teams.com
- ジェラルド・ファネンブルグ - Soccerway.com
- ジェラルド・ファネンブルグ - FootballDatabase.eu
- ジェラルド・ファネンブルグ - WorldFootball.net
- ジェラルド・ファネンブルグ - Transfermarkt.comによる選手データ
- ジェラルド・ファネンブルグ - Transfermarkt.comによる指導者データ
- ジェラルド・ファネンブルグ - FIFA主催大会成績
- ジェラルド・ファネンブルグ - UEFA
- ジェラルド・ファネンブルグ - J.League Data Siteによる選手データ
- ジェラルド・ファネンブルグ - Munzinger Sports Archives
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固有名詞の分類
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