ショパンとサンド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 07:41 UTC 版)
音楽家のフレデリック・ショパンはマヨルカ島とかかわりが深い。1838年から1839年の冬、ショパンとフランス人作家のジョルジュ・サンドはマヨルカ島のバルデモーサに滞在した。ショパンは結核が悪化しており、乾燥していて太陽も多いバレアレス諸島で療養するよう医者に勧められたためだとされる。 マヨルカ島での冬はショパンにとって生産的な期間であり、1835年に書きはじめていた「雨だれのプレリュード」を完成させたのはマヨルカ島で過ごしていた1839年1月のことだった。また、マヨルカ島では「バラード第2番」、「2つのポロネーズ」、「スケルツォ第3番」に着手した。バルデモーサ修道院にはショパンの記念館があり、スコアや原稿などが展示されている。1855年、サンドはマヨルカ島での経験を小説『マヨルカの冬(英語版)』に書いた。
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