シャーヒー朝征服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 03:47 UTC 版)
「マフムード (ガズナ朝)」の記事における「シャーヒー朝征服」の解説
マフムードは南に転じアッバース朝イスラム帝国と懇意になる目的で、ムルターンでイスマーイール派ファーティマ朝との対決に出た。 今日のアフガニスタン東部とパキスタン北西部にあった異教徒・ヒンドゥー・シャーヒー朝(英語版)のラージャ・ジャヤパーラ(英語版)はマフムードの父、サブク・ティギーンの時代に戦いに敗れガズナを失ったことの復讐を狙っていた。 ジャヤパーラの息子・アーナンダパーラ(英語版)もマフムードと抗争を続けたが1008年、マフムードは、ラホールでアーナンダパーラやラージプートの軍団に勝利、シャーヒー王朝を制圧した。
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