シャルル・フランソワ・ドービニーとは? わかりやすく解説

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シャルル=フランソワ・ドービニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 16:08 UTC 版)

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シャルル=フランソワ・ドービニー
Charles-François Daubigny
ナダールによる肖像写真
生誕 (1817-02-15) 1817年2月15日
フランス王国パリ
死没 1878年2月19日(1878-02-19)(61歳)
フランス共和国パリ
国籍 フランス
著名な実績 絵画
運動・動向 バルビゾン派

シャルル=フランソワ・ドービニー(Charles-François Daubigny, 1817年2月15日 - 1878年2月19日)は、フランス画家

生涯

パリ生まれ。父Edmond François Daubigny、叔父Pierre Daubignyも風景画家であり年少時より教育を受けた。1841年パリ国立高等美術学校に通い、ポール・ドラローシュのアトリエで学んだ。1843年[1]フォンテーヌブローの森などで作品を制作して以降、多くの土地を旅行してまわり、戸外での観察を重視して風景画を多く描いた。1857年からは、自身の所有する小舟「ボタン号」をアトリエとして使用し、セーヌ川オワーズ川に浮かべて舟の上から制作することもあった(このアトリエ舟での制作手法は後にモネに受け継がれた)。1860年以降はパリ郊外のオーヴェル=シュル=オワーズに住んだ。1868年にはサロン(官展)の審査委員を務め、モネなどの後に印象派を形成する事になる若い画家たちを積極的に評価した。バルビゾン派の一人に数えられ、印象派につながる重要な先駆けを果たしたといわれる。

1859年にレジオンドヌール勲章(シュバリエ)を受勲し、1874年に、レジオンドヌール勲章(オフィシエ)を受勲した[2]

エピソード

ギャラリー

参照

  1. ^ 日仏交流160周年記念シャルル=フランソワ・ドービニー展カタログ,2018,page 11
  2. ^ The Iconographic Encyclopaedia of the Arts and Scien: Sculpture and painting, 1887, page 138

参考文献

  • ハーグ市立美術館・国立国際美術館(大阪)監修「バルビゾン派をめぐる画家たち」カタログ、ハインク・インターナショナルB.V.、1987年
  • カトリーヌ・ドゥロ監修「シャルル=フランソワ・ドービニー展」カタログ,印象社,2018




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