シモンの家の晩餐 (ヴェロネーゼ、ミラノ)とは? わかりやすく解説

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シモンの家の晩餐 (ヴェロネーゼ、ミラノ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/20 00:12 UTC 版)

『シモンの家の晩餐』
イタリア語: Cena in casa di Simone
英語: The Feast in the House of Simon the Pharissee
作者 パオロ・ヴェロネーゼ
製作年 1570年
種類 カンヴァス上に油彩
寸法 275 cm × 710 cm (108 in × 280 in)
所蔵 ブレラ美術館ミラノ

シモンの家の晩餐』(シモンのいえのばんさん、伊: )は、イタリアルネサンス期、ヴェネツィア派の巨匠、パオロ・ヴェロネーゼカンヴァス上の油彩画である。1570年にヴェネツィア聖ヒエロニムス派のサン・セバスティアーノ修道院教会のために制作された。画家は、自身が後に埋葬された、この修道院教会(現在も設置されている)のために一連の作品を制作した[1] 。18世紀後半にフランスがヴェネツィアを占領した後、修道院は廃止され、その芸術品は没収された。 1817年、ナポレオンの崩壊後、『シモンの家の晩餐』は、ミラノブレラ美術館に収蔵された。

本作はヴェロネーゼの成熟期の作品で、ヴェネツィアの修道院の食堂のために制作された一連の記念碑的な『晩餐」のうちの一点であった。サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂(現在はルーブル美術館)のための『カナの婚礼』と、サンティ・ナザロ・エ・チェルソ教会ための『シモンの家の晩餐』(現在はトリノサバウダ美術館)は、連作中の初期の作品であった[2]。連作はすべて、パッラーディオの同時代の建築をモデルにした巨大なトロンプ・ルイユ建築に囲まれている。ヴェロネーゼは、マゼールのバルバーロ邸の装飾でパッラーディオと共同制作をしていた。

左端のマグダラのマリアは、キリストの足に油を塗っている。おびただしい数の周囲の人物、中央の動物の諍い、そして作品の世俗的な細部はすべて、1573年の異端審問で言及されている[3]

脚注

  1. ^ (イタリア語) S. Bandera (editor), Brera. La Pinacoteca e i suoi capolavori, Skira, Milano, 2009
  2. ^ (イタリア語) G. Piovene e R. Marini, L'opera completa del Veronese, Rizzoli, Milano, 1968.
  3. ^ (イタリア語) Carlo Ludovico Ragghianti (editor), Pinacoteca di Brera, Arnoldo Mondadori, Milano, 1970



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