ザクセン公領の継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 16:01 UTC 版)
「ロタール3世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「ザクセン公領の継承」の解説
1075年、父ゲープハルトがローマ皇帝ハインリヒ4世との戦いで戦死した後に遺腹の子として生まれた。当初はザクセンにそれほどの勢力を持たなかったが、結婚とそれに伴う相続によって領土を拡大、1106年にハインリヒ5世からザクセン公マグヌス亡き後のザクセン公に選ばれた。しかし、ハインリヒ5世と対立し、1115年にヴェルフェスホルツ(現在のマンスフェルト近郊)で帝国軍を撃破、王権をザクセンから排除した。 1123年にアイレンブルク伯兼マイセン辺境伯ハインリヒ2世が死去、ハインリヒ5世がグロイチュ伯ヴィプレヒト2世をマイセン辺境伯に指名するとこれに反発、ハインリヒ2世の従叔父のコンラートと組んでヴィプレヒト2世を追放、マイセン辺境伯領をコンラートに、ラウジッツをバレンシュテット伯アルブレヒト熊公に与えた。ハインリヒ5世はこの事態に対処しようとしたが、1125年に死去した。
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