サームプラヤーとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > サームプラヤーの意味・解説 

サームプラヤー

(サームプラヤー王 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/14 15:53 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
サームプラヤー
เจ้าสามพระยา
ボーロマラーチャーティラート2世(สมเด็จเจ้าพระยาบรมราชาธิราชที่ ๒)
在位 1424年 - 1448年
全名 サームプラヤー
王朝 アユタヤ王朝8代目
家系 スパンナプーム家
テンプレートを表示

サームプラヤー(チャオ・サーム・プラヤー、Chao Sam Phraya、タイ語: เจ้าสามพระยาボーロマラーチャーティラート2世、Borommarachathirat II、タイ語: สมเด็จพระบรมราชาธิราชที่ 2、? - 1448年)は、タイアユタヤ王朝の王の1人。父である王ナカリンタラーティラートが崩御した時、兄でありスパンブリーの国主であったアイプラヤーと、同じく兄でありプレークシーラーチャーの国主であったイープラヤーと王位を争ったが、上の兄2人が相討ちして死亡したのでサームプラヤーが王位に就くことになった。

後に、アンコール・トムを攻略し、クメールからクメール官吏を捕虜として連れて来た。それにより、バラモン教の文化面がアユタヤ王朝に入り込み、サックディナー制度と呼ばれる封建制度に似たシステムを導入したり、親である王が、子である国民と友好的な国作りをするというポークン思想に代わって、王は神であるとするバラモン的な神王思想を導入したり、宮中儀式をバラモン風に改めたりした。後に、この神王思想は王語を生み出したりもした。特にサックディナー制度はこれ以降、タイの王朝の基本的体制となる。この王の時代にスコータイ王朝は完全に、アユタヤ王朝の支配下に入った。

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「サームプラヤー」の関連用語

サームプラヤーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



サームプラヤーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのサームプラヤー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS