サン・ルー砦への攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 15:38 UTC 版)
「オルレアン包囲戦」の記事における「サン・ルー砦への攻撃」の解説
4日正午、東側を経由した通常迂回ルートを通る更なる供給部隊を確実に招き入れるために、デュノワは東側のイングランドの砦であるサン・ルー砦に対して、モンタルジとジアンの軍隊と共に攻撃を開始した。攻撃が始まったとき、ジャンヌはうたた寝をしていてその攻撃を逃すところであったが、急いで攻撃に加わった。 イングランドの400人の守備隊は、フランスの1,500人の攻撃隊に数の上でかなり劣勢であった。フランス軍を遠くにそらすことを期待して、イングランドの指揮官タルボットはオルレアン北端のサン・プエール砦から攻撃を開始したが、オルレアンから出撃したブザックらフランス軍の迎撃により食い止められた。数時間後サン・ルー砦は陥落し、140人程のイングランド人が殺され、40人が捕虜となった。サン・ルー砦のイングランドの守備隊の幾人かは近くの教会の廃墟で捕らえられたが、ジャンヌの求めにより助命された。サン・ルー砦陥落の知らせを聞いたタルボットは、北部への攻撃を取り止めた。
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