サルダーニャ伯領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/11 13:24 UTC 版)
サルダーニャ伯領は、カール大帝によって設置されたスペイン辺境領に源を発する。9世紀、サルダーニャはバルセロナ伯自身が統合する封建領土の一つであった。バルセロナ伯は、ジローナ伯、ナルボンヌ伯、ウルジェイ伯も兼ねていた。バルセロナ家のギフレ多毛伯 (在位:870年-897年)は3人の息子があり、その末息子ミロ2世(ミロン、927年没)を独立したサルダーニャ伯とした。 独立したサルダーニャ伯領は、ウルジェイ伯領、バルセロナ伯領、バザルー伯領、ルサリョー伯領、ラゼス伯領と境を接していた。サルダーニャ伯領は代々継承されていくうちに、領土外のカプシー、クンフレンをも獲得していった。サルダーニャ伯領は事実上、重要な伯領となった。サルダーニャ伯らは、サント・ミゲル・デ・クーシャ修道院(クンフレンにあり、10世紀建立)、サント・マルティー・ダル・カニゴー修道院(1009年、サルダーニャ伯ギフレによって献堂。フランス語名サン=マルタン・デュ・カニグー修道院)といったキリスト教施設の後援者となった。 しかし、サルダーニャ伯ベルナトが1118年に死去し伯家は断絶し、伯領はベルナトの従兄弟にあたるバルセロナ伯ラモン・バランゲー3世が受け継いだ。バルセロナ伯はのちに婚姻によってアラゴン王となった。
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