サマンソーチャトロンとは? わかりやすく解説

サマン・ソーチャトロン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 11:48 UTC 版)

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サマン・ソーチャトロン
基本情報
本名 Saman Sriprated
階級 ライトフライ級
身長 160cm
国籍 タイ
誕生日 (1968-08-02) 1968年8月2日(53歳)
出身地 カムペーンペット県
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 55
勝ち 46
KO勝ち 35
敗け 8
引き分け 1
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サマン・ソーチャトロンタイ語: สมาน ส.จาตุรงค์, 英語: Saman Sorjaturong1968年8月2日[1] - )は、タイの元プロボクサーカムペーンペット県出身。元WBCIBF世界ライトフライ級統一王者で、WBC王座は10度の防衛に成功した。軽量級だが、強打が持ち味であった。

来歴

1989年12月24日、プロデビュー。

1993年1月18日、タイミニマム級王座獲得。

1993年7月3日、世界初挑戦。敵地でWBC世界ストロー級王者リカルド・ロペスメキシコ)に挑むが、2回TKO負け。その後、1階級上のライトフライ級に転向。

1995年7月15日、世界再挑戦。アメリカロサンゼルスでWBC・IBF統一世界ライトフライ級王者ウンベルト・ゴンザレス(メキシコ)に挑み、世界王者を獲得した。

11月に初防衛成功後、IBF王座を返上。以降はWBC王者として通算10度の防衛に成功する。なお、9度目の防衛戦では日本のリングに初登場し、5度目の防衛戦で戦った相手であった挑戦者の八尋史朗を4回TKOで勝利した。

1999年10月17日、11度目の防衛戦。敵地で崔堯三韓国)と対戦し、12回判定負け。4年あまり保持した世界王座を明け渡した。

2002年2月2日、後楽園ホールで1年ぶりの再起戦。田中光輝とノンタイトル戦を行い、3回TKO勝ちを収めた。その後、4月12日に再起第2戦を行うも10回判定負け。以降、3年間試合から遠ざかる。

2005年2月22日、3年ぶりの復帰戦。WBCの下部組織であるABCOスーパーフライ級暫定王者デビッド・ナコンルアンプロモーション(タイ)に挑むが、4回TKO負け。

2005年6月20日、日本で3度目の試合。後楽園ホールで亀田興毅と対戦し、初回KO負け。この試合を最後に引退した。

戦績

  • 46勝(35KO)8敗1分

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ BEST I FACED: SAMAN SORJATURONG”. ringtv.com. 2020年7月28日閲覧。

関連項目

外部リンク

前王者
ウンベルト・ゴンザレス
WBC世界ライトフライ級王者

1995年7月15日 - 1999年10月17日

次王者
崔堯三
前王者
ウンベルト・ゴンザレス
IBF世界ライトフライ級王者

1995年7月15日 - 1995年(剥奪)

空位
次タイトル獲得者
マイケル・カルバハル




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