コピーの誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 18:08 UTC 版)
「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」の記事における「コピーの誕生」の解説
1961年当時、寿屋の宣伝部には山口瞳のほか、開高健、柳原良平らが在籍していた。イラストレーターの柳原は開高とアイディアを出し合い、トリスのキャラクターであるアンクルトリスを生み出した。また、1961年に開高の作ったコピー”「人間」らしくやりたいナ”は大きな評判を呼んだ。この年の9月に寿屋は新たにハワイのキャンペーンを展開することになっていたが、この当時、開高は作家としての仕事などで多忙を極めており、会社に出ることも少なくなっていた。そのため、このキャンペーンのコピーは山口が担当することになった。 山口が指示を受けたとき、すでに柳原によって絵とデザインは完成していた。山口は、なんとかして読者の心に残る広告を作ろうと、「机の下にもぐりこんだり、暗室で寝ころがったり」しながら考え、コピーを作り上げた。山口は、このコピーの表記は「トリスを/飲んで/Hawaiiへ/行こう!」であらねばならぬとして、これを「トリスをのんでハワイへいこう」などと書かれると泣きたくなると述べている。
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