グランソン包囲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/15 14:47 UTC 版)
1476年2月の末、シャルル豪胆公(あるいは突進公とも呼ばれる)は、ヌーシャテル湖畔のグランソン城を包囲した。グランソンはシャルルの同盟者であるジャコモ・ディ・サヴォイアの所領であったが、前年にスイス盟約者団に奪われていた。シャルルは大規模な傭兵部隊と共に多くの大砲を率いており、その砲撃の威力が明らかになるとスイス側守備隊は落城の恐怖に怯えるようになった。ベルン州の強い影響下にあったスイスは、守備隊を救援すべく軍を編成した。援軍の接近を知らせる船がグランソンに向かったが、ブルゴーニュ軍の砲撃を恐れ城塞に接近することができなかった。船に乗った人々は援軍が近づいていることを身振りで城塞の中の人々に知らせようとしたが、守備隊はこれを誤解し、降伏を決断した。
※この「グランソン包囲」の解説は、「グランソンの戦い」の解説の一部です。
「グランソン包囲」を含む「グランソンの戦い」の記事については、「グランソンの戦い」の概要を参照ください。
- グランソン包囲のページへのリンク