クルアーンとマダイン・サーレハ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 06:40 UTC 版)
「マダイン・サーレハ」の記事における「クルアーンとマダイン・サーレハ」の解説
詳細は「アル・ヒジュル (クルアーン)」を参照 サウジアラビアでは、マダイン・サーレハの遺跡は呪われた場所と考えられている。その根拠となるのが『クルアーン』第15章「アル=ヒジュル」である。そこではアル=ヒジュルの民が使徒の警告を聞き入れずに罰を受けたことが記されている。 そのため、多くの篤信のサウジアラビア国民たちは、政府が公式に観光事業を奨励しているにもかかわらず、当該章句をあまり気にしないムスリムや非ムスリムの観光客に、良い顔をするとは限らないのである。 ヒジュルの仲間も使徒たちを嘘つきとして拒否した。われはかれらにわが種々の印を下したが、かれらはそれらを避け(て無視し)た。かれらは(岩)山に家を彫り込み、安全であると考えていた。それである朝、一声(懲罰)が、かれらを襲って、かれらが(特別の知識と技術で)築き営んでいたことは、かれらにとって何も役立たなかった。 —クルアーン『アル・ヒジュル章』第80-84節
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