クリーム以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 05:29 UTC 版)
「クリーム (バンド)」の記事における「クリーム以降」の解説
クリームの解散後、クラプトンとベイカーは直ぐにブラインド・フェイスを結成。(クラプトンは以前よりクリームにスティーヴ・ウィンウッドを引き込み、ブルースとベイカーの緩衝剤になってもらおうと試みていた)。クラプトンはその後、より即興が少ない方向に演奏の方向性を大きく変え、デラニー&ボニーやデレク・アンド・ザ・ドミノスを経て、ソロとしてのキャリアを進めていった。だが、クラプトンはドラッグと酒におぼれ、1976年には「キープ・ブリテン・ホワイト」という白人主義的な発言に加え、レイシストのイーノック・パウエルを支持する発言を行い、厳しい批判を受けた。 ベイカーは、ブラインド・フェイスを基にジャズ・フュージョンのアンサンブル、ジンジャー・ベイカーズ・エアフォースを結成した。このバンドのメンバーは、ウィンウッド(ボーカル)、元ファミリー~ブラインド・フェイスのリック・グレッチ(ベース)、グレアム・ボンド(サックス)、元ムーディ・ブルースで後にウイングスに加入するデニー・レイン(ギター)であった。一方ブルースは様々なソロワークで成功をおさめ、1969年には『Songs for a Tailor』をリリースした。
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