キューレーネー王家の祖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/27 02:08 UTC 版)
「エウペーモス」の記事における「キューレーネー王家の祖」の解説
ピンダロスの「ピューティア第四祝勝歌」についてのツェツェース(Tzetzes, およそ1110年 - 1180年)の注釈によれば、エウペーモスとレームノス島の女とのあいだにレウコパネスが生まれ、リビアのキューレーネー市を創建したバットスはその子孫である。 カール・ケレーニイによると、アルゴナウタイが北アフリカのトリートーネス湖に至ったとき、現れた海神トリートーンに地中海に戻る道を尋ねたのはエウペーモスだった。トリートーンは土の塊をエウペーモスに手渡し、このことはリビアの統治権を与えるという意味があった。 一行がクレータ島を経てアナペー島を出航したとき、エウペーモスは次のような夢を見た。土の塊が乙女となってエウペーモスは乙女と交わった。乙女はトリートーンと女神リビュエーの娘であると名乗り、エウペーモスの子孫が日光のもとに浮かび上がれるよう自分をネーレーイデスのもとに投げ込むように告げた。この夢の話を聞いたイアーソーンにすすめられて、エウペーモスが土の塊を海中に投じると、深みから島が浮かび上がってカリステー(もっとも美しい)島となった。のちのテーラ島(現在のサントリーニ島)であり、この地にエウペーモスの後裔の一族が住むことになった。ロバート・グレーヴスによれば、上に述べたバットスがテーラ島からキューレーネーに移住したのは紀元前7世紀のことである。
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