キプロス紛争時
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 21:37 UTC 版)
1974年6月、ターミナルを更に拡張し、エプロンを16機に拡張計画があり、2箇所はワイドボディ機も取扱可能の大型のものだった。だがキプロス紛争が激化し、1974年7月15日ギリシャ系民族主義者によりマカリオス政権が崩壊すると、ニコシア空港は一時的に閉鎖された。1974年7月17日、ギリシャ軍のマカリオス大主教に対するクーデター支援にニコシア空港が使用された。7月18日には民間航空便が再開し、外国人観光客が出国するために使用された。しかし1974年7月20日、トルコのキプロス侵攻作戦「アティッラー作戦(英語版)」においてニコシア空港は激しく空爆され、完全に閉鎖となった。
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