カール・ガルスター (駆逐艦)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > カール・ガルスター (駆逐艦)の意味・解説 

カール・ガルスター (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/21 01:26 UTC 版)


艦歴
起工 1936年9月14日
進水 1937年6月15日
就役 1939年3月21日
その後 敗戦の賠償としてソビエト連邦へ譲渡
性能諸元
排水量 2,411トン
全長 123.2m(Z20以降:125.1m)
水線長 120m
全幅 11.8m
吃水 船首:3.77m、船尾:4.5m
機関 蒸気タービン6缶2基 2軸推進 70,000hp
速力 38.5ノット
航続距離 2,050海里(巡航速度19ノット)
乗員 323人
兵装 45口径127mm単装 5門
83口径37mm連装機関砲 2基4門
65口径20mm機関砲 6門
4連装533mm魚雷発射管 2基8門
爆雷投射機 4基
爆雷または機雷 60発

Z20 カール・ガルスター(Z20 Karl Galster)はドイツ海軍Z17型(1936型)駆逐艦[1]

艦歴

第二次世界大戦開戦後、ドイツ湾(German Bight)に配備され、機雷敷設任務などに従事した。

1940年4月の第1次ナルヴィク海戦にて駆逐艦隊に壊滅的な損失を被った後、ドイツ海軍は生き残った駆逐艦を再編成し、カール・ガルスターが駆逐艦隊の旗艦となり[2]、 6月にノルウェー沖海戦に参加した[3]。 11月にはZ10 ハンス・ロディ、Z4 リヒャルト・バイツェンと共にイギリス海軍第5駆逐艦と交戦し、ジャヴェリン(HMS Javelin, F61)の船首及び船尾に大きな損傷を与えるが、ジャヴェリンは沈没を免れた[4]。カール・ガルスターはブレーマーハーフェンにて船体補修を受けるため帰国し、その後北極圏での作戦、哨戒に従事した。

戦後、カール・ガルスターは第二次世界大戦の賠償として、1946年2月6日にソビエト連邦に譲渡され、Prochnyyと改名された。Prochnyyは1950年に練習船に改造され、1958年に廃棄された[5]

脚注

  1. ^ Koop & Schmolke, pp. 24, 99–100; Whitley, p. 82
  2. ^ Hervieux, p. 112; Koop & Schmolke, p. 100; Rohwer, p. 11; Whitley, pp. 86–92
  3. ^ 世界の艦船2017年9月号』海人社 
  4. ^ Koop & Schmolke, p. 100; Whitley, pp. 107–114
  5. ^ Koop & Schmolke, p. 101; Whitley, pp. 191–192, 198

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  カール・ガルスター (駆逐艦)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「カール・ガルスター (駆逐艦)」の関連用語

カール・ガルスター (駆逐艦)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



カール・ガルスター (駆逐艦)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのカール・ガルスター (駆逐艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS