カーネションの父
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 04:12 UTC 版)
1909年(明治42年)、龍治郎は土倉本家の要請により、事業を三井物産に譲渡し帰国、翌年よりカーネーションの栽培を始める。カーネーションの日本への伝来は江戸時代初期以前と記録されている。 時は移り、龍治郎帰国の年に米国シアトルに在住していた澤田(名不明)が帰国の際に「ホワイト・エンチャントレス」、「ピンク・エンチャントレス」、「ビクトリー」、「ローズ・ピンク・エンチャントレス」等、他にも2, 3の品種を持ち帰ったが栽培法に精通しなかった為、生産化には至らなかった。後に土倉龍治郎が近代的栽培技術や体制を構築し、新しい品種を生み出し日本にカーネーションを定着させた。この業績により「カーネーションの父」と称されるようになった。土倉は犬塚卓一と共に1936年(昭和11年)、名著「カーネーションの研究」(修教社書院)を上梓している。
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