カーディスの殺害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 09:13 UTC 版)
「サンエリザリオ塩戦争」の記事における「カーディスの殺害」の解説
1877年9月29日に、ホセ・マリア・フアレスとマケドニア・ガンダラは大量の塩を集めると表明し、これを知ったハワードはエル・パソ郡保安官チャールズ・カーバーに彼らを逮捕させた。その晩、法的な手続きのため裁判所に向かったハワードは武装した集団に襲われ、カーバーに逮捕された二人の身柄も発見されてしまう。3日間に渡って捕らえられたハワードは10月3日、12,000ドルの保証金の支払いと塩湖の諸権利破棄を約束することで釈放された。ハワードはメシラ(英語版)にあったファウンテンの家に短期間滞在したのち、10月10日にエル・パソに戻ってカーディスを射殺した。ハワードはすぐにニューメキシコへと逃亡したが、サン・エリザリオの住人は激高し、同地は事実上の無政府状態となった。
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