カークイェ朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/10 04:01 UTC 版)
10世紀には西部ペルシアに大きな勢力を持ったダイラム系のカークイェ朝(英語版)の支配下に入った。11世紀前半になるとカークイェ朝はセルジューク朝配下の地方政権となり、ヤズドはその中心地として、第一の繁栄期を迎えた。時の支配者アブー・マンスール・ファラームルズ(フランス語版)はヤズドに金曜モスク、城壁を建設している。1141年、カークイェ朝最後の君主ガルシャースプ・イブン・アリー・イブン・ファラームルズがセルジューク朝のスルターン・サンジャルとともに出撃したカトワーンの戦いで戦死した。
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