カルロス・ムリーリョとは? わかりやすく解説

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カルロス・ムリーリョ

(カルロス・ムリージョ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/17 20:59 UTC 版)

カルロス・ムリーリョ
基本情報
本名 カルロス・エルネスト・ムリーリョ・ドゥアルテ
Carlos Ernesto Murillo Duarte
通称 Puas
階級 ライトフライ級
国籍 パナマ
誕生日 (1970-12-10) 1970年12月10日(53歳)
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 50
勝ち 38
KO勝ち 29
敗け 11
引き分け 1
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カルロス・エルネスト・ムリーリョ・ドゥアルテ(Carlos Ernesto Murillo Duarte、1970年12月10日 - )は、パナマプロボクサー。元WBA世界ライトフライ級王者。

来歴

1990年5月5日、プロデビュー。7連勝でWBAフェデラテンミニマム級王座を獲得。

1991年5月23日8月15日および1992年3月12日8月1日10月17日と同王座を5度防衛した。

1993年5月9日、チャナ・ポーパオインの持つWBA世界ミニマム級王座に挑戦するが判定で敗北し初黒星となった。

1994年11月19日、WBAフェデラテンライトフライ級王座の獲得に成功するとともに、パナマライトフライ級王座を獲得。

1996年1月13日、WBA世界ライトフライ級王者崔煕庸に挑戦し王座を獲得した。

1996年5月21日、2度目の防衛戦で日本の山口圭司の挑戦を受けるが判定で敗れて王座から陥落した。

1996年8月13日、山口圭司とリターンマッチで対戦するが判定で敗れ王座奪還はならなかった。

1997年9月27日、WBAフェデラテンライトフライ級王座からも陥落した。

1998年8月29日、IBFライトフライ級王座に挑戦するものの王座獲得ならず。この試合は王者の計量失格により空位の王座への挑戦となった。

2005年12月10日沖縄翁長吾央に初回0分58秒KO負けを喫し、現役を引退した。

戦績

  • プロボクシング:50戦38勝(29KO)11敗(4KO)1分

獲得タイトル

関連項目

外部リンク

前王者
崔煕庸
WBA世界ライトフライ級王者

1996年1月13日 - 1996年5月21日

次王者
山口圭司



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