カルナクのアメン・ラー神殿とルクソール神殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 09:11 UTC 版)
「古代エジプトの宗教」の記事における「カルナクのアメン・ラー神殿とルクソール神殿」の解説
アメン(アメン・ラー)の神殿として知られているカルナクの建物群は、造営は第12王朝時代に開始された。 この神殿群の内部には、ムトやコンス、プタハおよびメンチュウなどの神々に捧げられた神殿も造営されている。これらの神殿は、もともと別々の聖域であったが、これらの神々がアメン・ラーの三神群を形成するものであったためか、あるいはまた、その地方的重要性がテーベにおけるアメン・ラーの優位を脅かすものと考えられたために、アメン・ラー神殿群の一部に取り入れられ、アメン神官団の監督下に置かれる結果となった。 アメンやムト、コンスなどに捧げられたカルナクの神殿と南側にある別の神殿との間は、祭礼の行列が通る参道で結ばれていた。今日、ルクソール神殿として知られているこの神殿は、古代には「南のハーレム」と呼ばれていた。これは、この神殿がアメンの妻であるムトの住み家と考えられていたためである。 アメンは、年に一度、この神殿に住むムトのもとを訪れた。この時、神官たちはアメンの像をカルナクからルクソールまで運んだ。この行列は、オペトの大祭と呼ばれている。 この大祭の様子はルクソール神殿の壁面に描かれている。この行列は、黄金の聖舟に載せられたアメンの像を南のハーレムであるルクソール神殿へと運んだ。ここで24日間、アメンは妻と過ごした後、その像はカルナクにある元の住居へと再び戻された。
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