カペー系の断絶
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 03:24 UTC 版)
ブルゴーニュ公領は、1031年からカペー家傍系のブルゴーニュ家が支配していた。最後の当主フィリップ1世が1361年に早世すると、同地はフランス国王の直轄領となった。 1363年、フランス国王シャルル5世(賢明王)は、弟のフィリップをブルゴーニュ公に封じた(豪胆公/ル・アルディ)。一方、フランドル伯ルイ2世は、明らかにイングランド寄りの姿勢を見せ、同年、エドワード3世は三男ヨーク公エドマンドと、ルイ2世の唯一の後継者マルグリットを結婚させようとした。シャルル5世はこれを妨害し、弟のフィリップ豪胆公とマルグリットを結婚させた。 1369年6月13日、ブルゴーニュ公フィリップ2世と、ブルゴーニュ女伯・フランドル女伯マルグリット3世の結婚により、広大な同君連合が成立した。
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