オレグ・イワノフとは? わかりやすく解説

オレグ・イワノフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/08 09:08 UTC 版)

オレグ・イワノフ
名前
本名 オレグ・アレクサンドロヴィッチ・イワノフ
Oleg Aleksandrovich Ivanov
ラテン文字 Oleg IVANOV
ロシア語 Олег Александрович Иванов
基本情報
国籍 ロシア
生年月日 (1986-08-04) 1986年8月4日(37歳)
出身地 ソビエト連邦モスクワ
身長 191cm
体重 82kg
選手情報
在籍チーム FCウファ
ポジション MF
背番号 19
利き足 左足
ユース
1994-1996 ロコモティフ・モスクワ
1996-2000 スパルタク・モスクワ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004 スパルタク・モスクワ 2 (0)
205 FCヒムキ 32 (7)
2006-2007 クバン・クラスノダール 57 (9)
2008-2010 クリリヤ・ソヴェトフ 64 (6)
2011 FCロストフ 14 (0)
2012-2020 アフマト・グロズヌイ 226 (16)
2021- ウファ
代表歴2
2015-2016 ロシア 5 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2020年12月7日現在。
2. 2016年6月5日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

オレグ・イワノフロシア語: Олег Александрович Иванов1986年8月4日 - )は、ロシアサッカー選手。ポジションはミッドフィールダーFCウファ所属。

経歴

クラブ

FCスパルタク・モスクワのアカデミー出身だが、サッカーを始めたころの1994年から1996年まではFCロコモティフ・モスクワのアカデミーに所属していた。FCヒムキFCクバン・クラスノダールでのプレーを経て、2008年1月にクリリヤ・ソヴェトフ・サマーラと4年契約を結び、評価を確立させた。

2011年12月24日にFCテレク・グロズヌイ(現・FCアフマト・グロズヌイ)へ移籍。背番号は一貫して99を着けていたが、テレクでは背番号99は既に埋まっていたため、19を着けることになった。

2021年1月21日、FCウファに1年半契約で移籍した。

代表

U-19、U-21代表でのプレーを経て、UEFA EURO 2008予選では出場はおろか、ベンチ入りもせず、親善試合にすらも呼ばれたことがなかったが、当時所属していたクリリヤ・ソヴェトフ・サマーラでの活躍がロシア代表(当時)のフース・ヒディンク監督の目に止まり、UEFA EURO 2008の予備登録26人のメンバーに選出された。大方の予想通り、一度は登録23人から落選したが、2008年6月7日パヴェル・ポグレブニャクが膝の負傷で離脱し、追加でエントリーメンバーに選出された。ただし、出場する機会は訪れず、ヒディンク体制終了並びにディック・アドフォカート体制では一切呼ばれず、ファビオ・カペッロ体制でも2013年2月の親善試合に招集されただけにとどまったが、2015年6月7日のベラルーシ戦で代表初招集から7年越しにデビューを飾った。UEFA EURO 2016予選ではカペッロ監督最後の采配となったオーストリア戦のみの出場に終わったが、ユーリ・ジルコフの怪我による実質代替選手としてエントリーメンバー入りした。スタニスラフ・チェルチェソフ監督に代わってからは招集されなくなり、代表キャップは2016年時点で5にとどまっている。





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