オランダの侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/19 17:30 UTC 版)
1846年-1849年のバリ戦争に勝利したオランダはカランガスムの影響下にあったブレレン王国をオランダの保護領とした。また、ウブドのスカワティ家と連合して、クルンクン王国と戦うが、傍系のロンボク王家がカランガスムに兵力を動員した隙にロンボク島でササック人の反乱が起こし、これに乗じてオランダが介入でロンボク王家は敗北し、カランガスム王国は力を失う。そして、カランガスム王国は、オランダの保護領となり、王には領事という地位が与えられた。逆にこのことで王の地位は強化された。また、オランダの支配を認めたことで、それ以上侵攻されずオランダは間接的な統治に留め、形だけの王政はそのまま残り、王宮や王国の富も流出しなかった。スカワティ家とともにオランダの植民地支配のエリートとしての地位を築いた。
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