オランダのハッチメント
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/12/09 05:06 UTC 版)
「ハッチメント」の記事における「オランダのハッチメント」の解説
オランダでは、ハッチメント(オランダ語では、rouwbord、文字通り「哀悼のシールド」)は、「OBIIT」(ラテン語で「死去」)及び没年月日を伴い、死者の家の扉に掛けられた後、その者が葬られた教会の壁に掛けられた。17世紀には、ハッチメントは紋章による地味な黒いロズンジ形のパネルであったが、18世紀にはロズンジ形のパネル及びその上に描かれた紋章はますます精巧になった。コウモリの翼、頭蓋骨、砂時計及び松明を持って泣いている天使のような死の象徴が加えられ、8名又は16名、多い時には32名の以前の紋章使用者の名前(「成り上がり者」の創作もしばしばであった)及び彼らの家系のエスカッシャンが示された。 未亡人の紋章は、時折コーデリア(結ばれた紐)によって囲まれ、女性の紋章は、必ずしもそうとは限らないがロズンジのように形づくられる。これらの伝統を規定し、統制するキング・オブ・アームズはいなかった。1795年にフランス革命軍によって征服されたネーデルラント連邦共和国は、同年すべての紋章のシールド禁止令を出し、何千ものハッチメントが破壊されて焼かれた。19世紀には、ハッチメントはほとんど忘れられたが、ほんの少数の貴族の家族だけはその伝統を守っていた。 フランドルでは、ローマカトリック教会の聖職者は、今日までハッチメントを掲示する伝統に従っていた。貴族の家族は、教会でハッチメントを掲示し続けた。 イギリスのハッチメントと異なり、オランダ(及びベルギー)のハッチメントにはしばしば生没年月日が刻まれ、ラテン語の単語「obiit」、「natus」及び「svea」が死者の生没年月日及び没年齢を加えるのに用いられる。また、名前及び称号が、さまざまな祖先の紋章とともに時折加えられる。 時折、男性と女性の紋章がハッチメントの上で示される。
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