エドマンド・アシリングとは? わかりやすく解説

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エドマンド・アシリング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/22 01:44 UTC 版)

エドマンド・アシリング英語:Edmund Ætheling [ˈɛdmənd ˈæθɪlɪŋ]:1015年ごろ - 1046年から1054年の間)とは、11世紀のウェセックス王族である。父親はエドマンド剛勇王であり、クヌート大王のイングランド侵攻に対して果敢に立ち向かったイングランド王として知られる。エドマンド剛勇王は1016年9月にアッサンダンの戦い英語版でクヌート軍に敗れ、剛勇王がウェセックスを、クヌート大王がマーシアを(あるいはノーサンブリアも)それぞれ領有する取り決めの下で両者は講和条約を締結した。しかしその2か月後、エドマンド剛勇王が死去し、クヌートはイングランド全土を治める唯一のイングランド王としての立場を固めた[1]


注釈

  1. ^ 歴史家の間では、エドマンド・エドワード兄弟は実際のところオーロフ王によってイシュトバーン王の宮廷ではなく直接ヤロスラフ賢公の宮廷に送られたのではないかとする意見も存在する[21][22]。文献の中には、兄弟はスウェーデンで成長したのち、より遅い時期にキエフに亡命したと主張する文献も存在する[23]。歴史家ガブリエル・ロネーは、エドマンド・エドワード兄弟は「最も多感な成長期をヤロスラフ公の後見の下で過ごし、彼の公国の首都で成人を迎えた」と述べている[24]。一方、イギリス人歴史家アリソン・ウィアー英語版は、「エドマンド剛勇王の息子達は確実に幼い頃に既にハンガリーに送り届けられていた」と述べている[25]。彼女の説は英国人名事典の内容に基づいている[26]

脚注

  1. ^ Lawson 2004.
  2. ^ a b Howard 2003, p. 69.
  3. ^ a b Weir 1996, p. 28.
  4. ^ Ingham 1998, p. 234.
  5. ^ Jones 1999, p. 121.
  6. ^ Commire 2000, p. 8.
  7. ^ Smith 1953, p. 509.
  8. ^ Rushforth 2007, p. 17.
  9. ^ Jewish Historical Society of England 1971, p. 77.
  10. ^ Barlow 1984, p. 31.
  11. ^ Ronay 1989, p. 24.
  12. ^ a b Ronay 1989, p. 183.
  13. ^ a b Yonge 2010, p. 115.
  14. ^ Ronay 1989, p. 38.
  15. ^ Mahoney 2011, p. 35.
  16. ^ Cruz 1984, p. 291.
  17. ^ Byfield & Stanway 2004, p. 214.
  18. ^ Tanner 2011, p. 50.
  19. ^ "Stephen I". Encyclopædia Britannica. britannica.com. 2013年9月28日閲覧
  20. ^ Ronay 1989, p. 40.
  21. ^ Livingstone 2013, p. 65.
  22. ^ a b Panton 2011, p. 143.
  23. ^ Marshall 2003, p. 8.
  24. ^ Ronay 1989, p. 68.
  25. ^ Weir 1996, p. 29.
  26. ^ a b Lawson, M.K. (2004). "Edward Ætheling [called Edward the Exile] (d. 1057)". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/37387. 2013年9月28日閲覧 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。) (要購読契約)
  27. ^ Ingham 1998, pp. 239–40.
  28. ^ Ronay 1989, p. 61.
  29. ^ Ronay 1989, p. 56.
  30. ^ Ronay 1989, p. 66.
  31. ^ a b Ronay, Gabriel (1984). “Edward Aetheling: Anglo-Saxon England's Last Hope”. History Today 34 (1). ISSN 0018-2753. http://www.historytoday.com/gabriel-ronay/edward-aetheling-anglo-saxon-englands-last-hope. 
  32. ^ Ronay 1989, p. 194.
  33. ^ Ronay 1989, p. 76.
  34. ^ Ronay 1989, p. 82.
  35. ^ Kristó & Makk 1996, p. 69.
  36. ^ Engel 2001, p. 59.
  37. ^ Gillingham 2003, p. 35.
  38. ^ von Redlich 1940, p. 107.
  39. ^ Ronay 1989, p. 107.
  40. ^ Searle 1899, p. 350.
  41. ^ Ronay 1989, p. 108.
  42. ^ Ingham 1998, p. 236.
  43. ^ Bodleian Library 1985, p. 368.
  44. ^ Keynes 1985, pp. 359–364.
  45. ^ Brown 2000, p. 109.
  46. ^ Panton 2011, pp. 138–9.
  47. ^ Chambers 1952, p. 82.
  48. ^ Williams 2003, p. 24.
  49. ^ Stafford 1989, pp. 52–3.


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