ウールクリッパーとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 18:26 UTC 版)
「カティーサーク」の記事における「ウールクリッパーとして」の解説
イギリスに戻った「カティサーク」はオーストラリアからの羊毛輸送に投入されることとなった。そのようなクリッパーはウールクリッパーと呼ばれた。7月15日にオーストラリアへ向けて出発した「カティサーク」は10月10日にニューカッスルに到着。羊毛を積んで12月28日にニューカッスルを出発し、82日間の航海で3月20日にロンドンに着いた。1884年から1885年の時は「カティサーク」のニューカッスル・ロンドン間の記録は80日であり、他船ではメルボルン・ロンドン間で「マーマラス」が87日、「ベン・クルアチャン」が91日などであった。 この後、「カティサーク」船長は「コールドストリーム」の船長であったリチャード・ウージェットにかわった。彼は優れた船長であった。羊毛等を積んだ「カティサーク」は1885年10月16日にシドニーを出港。この時は「サーモピリー」もシドニーに来ており、同船は10月18日にシドニーを出港している。この時のイギリスまでの航海日数は「カティサーク」73日に対して「サーモピリー」は80日であった。 1886年、ティークリッパーレースに未練のあったウィリスは「カティサーク」を中国へ向かわせるも積み荷の茶は得られず、結局シドニーへ向かい羊毛輸送に従事した。この年の「カティサーク」のオーストラリアからの航海日数の記録は72日であった。1887年には69日を記録している。1888年から1889年のときは86日であったが、この時は84日や85日を記録した船もあった。次の回では75日、1890年から1891年の航海では93日であった。 その後も1985年まで羊毛輸送に従事したが、1892年の時のオーストラリア行きは遅れ、翌年はアントワープへ羊毛を運んだ。
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