ウジェニー・フィオクルとは? わかりやすく解説

ウジェニー・フィオクル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/10 19:44 UTC 版)

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『ネメア』でキューピッドに扮したウジェニー・フィオクル、1864年7月

ウジェニー・フィオクルEugénie Fiocre1845年7月2日 - 1908年、フィオークルとも)は、フランスバレエダンサーである。パリ・オペラ座で活躍した彼女は、その美貌で有名であった。また、フィオクルは、バレエコッペリア』のフランツ役の初演者としても知られている。

プロフィール

ウジェニー・フィオクルはパリで生まれた。彼女はパリ・オペラ座に1864年から1875年まで在籍し、主役級の役を踊ったが、その中には男装して踊る役(トラヴェスティ)もしばしば含まれていた。

1870年初演の『コッペリア』では男装してフランツ役を初演し、スワニルダ役のジュゼッピーナ・ボツァッキとともに賞賛を受けた[1]

フィオクルは画家のエドガー・ドガや彫刻家のジャン=バティスト・カルポーのモデルを務めた。彼女をモデルにした作品は、その美貌の面影を現在まで伝えている。

後にフィオクルは、クレキ・ ド・クルティロン=モンフォール侯爵と結婚し、探検家人類学者外交官、そしてオリンピックの射撃競技に2回[2][3]出場したジョルジュ・ド・クレキ=モンフォールHenri Georges Le Compasseur de Créqui-Montfort Marquis de Courtivron1877年9月27日 - 1966年4月4日)の母となった。

なお、実姉のルイーズ・フィオクル(Louise Fiocre1843年 - 没年不明)もバレエダンサーで、同じく美貌で有名であった[4]。 

主な出演作品

  • 『ネメア』(1864年
  • 』(1866年
  • 『コッペリア』(1870年)

脚注

  1. ^ パリ・オペラ座では、1958年の改訂まで女性ダンサーがフランツ役を演じていた。
  2. ^ ジョルジュはストックホルムオリンピック1912年)とパリオリンピック1924年)の2大会に出場している。
  3. ^ Georges, Marquis de Créqui-Montfort de Courtivron Olympics at Sports-Reference.com 2011年2月25日閲覧。(英語)
  4. ^ Fiocre Sisters 2011年2月25日閲覧。(英語)

参考文献

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