ウジェーヌ2世・ド・リーニュとは? わかりやすく解説

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ウジェーヌ2世・ド・リーニュ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/07 14:28 UTC 版)

ニューデリーの中国大使館で開かれた双十節記念晩餐会に出席し、ネルーマウントバッテン卿一家らと並ぶリーニュ公(右から2番目)、駐インド大使時代の1947年10月10日撮影

ウジェーヌ・フレデリック・マリー・ラモラル・ド・リーニュEugène II Frédéric Marie Lamoral, 11e prince de Ligne, 1893年8月10日 ブルイユポン城英語版 - 1960年6月26日 ベルイユ英語版)は、ベルギーの貴族・外交官。第11代リーニュ公、アンブリス公及びエピノワ公、オーストリア系金羊毛勲章受章者[1][2]

生涯

ベルイユに近い、トゥルネーアト英語版の間の一帯の土地を領した一族を祖とし、家系を11世紀に遡ることのできるベルギーの高級貴族リーニュ家に生まれた[3]。リーニュ公エルネストフランス語版と、その妻でロラン・ド・コッセ=ブリサック侯爵の娘であるディアーヌの間の長男。1917年2月28日パリにて、ポワ公フランソワ・ド・ノアイユ英語版の娘フィリッピーヌ(1898年 - 1991年)と結婚した。

哲学・文学を大学で治めた後、1920年外交官試験に優の成績で合格した。以後、各国駐在大使館員としてブカレスト、パリ、マドリード、ロンドン、ワシントンD.C.と欧米の大都市を転々とした。1920年代にパッカード社製乗用車でインド旅行をしている。1925年には妻とベルギー委任統治領ルアンダ=ウルンディに滞在した[4]。1931年アフリカでの自動車探検隊に参加し、サハラ砂漠を縦断してベルギー領コンゴ及びその南部ルバ英語版地方に到達、またこのときハルツームカイロルクソール及びアレクサンドリアなどアフリカ諸都市をも訪れた[5]

1937年父の死と同時にリーニュ公位を継承した。1940年ナチスのベルギー占領に際しては、アントウェルペンでベルギー軍の自動車部隊の司令官として防衛に従事した。ナチス占領中も、居城ベルイユ城英語版にユダヤ人の子供26人を匿い、強制収容所への移送から守った[6]。また300人のユダヤ人に避難場所を用意し命を救った[7]。こうした業績から、1975年、ヤド・ヴァシェムはリーニュ公に「諸国民の中の正義の人」の称号を贈った[8]

1947年から1951年まで駐インド大使としてニューデリー[9]、1951年から1958年まで駐スペイン大使としてマドリードに赴任した。スペイン大使の職は、ポール=アンリ・スパーク内閣が任命した前任の大使ベイエンスフランス語版男爵が、スペイン総統フランコが保護していたベルギー人コラボのレオン・デグレル英語版の身柄引き渡しを要求してフランコの怒りを買い、退任させられたために後任となったものである。

子女

妻との間に2男2女があった。

  • ボードゥアン・マリー・ラモラルフランス語版(1918年 - 1985年) - 第12代リーニュ公
  • イザベル・マリー・フランソワーズ・ディアーヌ(1921年 - 2000年) - 第3代ヴィジャロバル侯爵スペイン語版カルロス・デ・サーベドラ・イ・オソレス(ベルギー駐在スペイン大使ロドリゴ・デ・サーベドラ・イ・ビネントスペイン語版の長子)と結婚
  • ヨランド・マリー・ジャンヌ・シャルロットフランス語版(1923年 - 2023年) - オーストリア大公カール・ルートヴィヒと結婚
  • アントワーヌ・マリー・ジョアシャン・ラモラル(1925年 - 2005年) - 第13代リーニュ公、ルクセンブルク大公女アリックスと結婚

引用・脚注

  1. ^ "Chevaliers de la Toison d'Or". AntiquesAntos.com (フランス語). 2011年5月5日閲覧
  2. ^ Siehe auch Liste der Ritter des Ordens vom Goldenen Vlies, Nr. 1250
  3. ^ Gubwant Malik (2010), Susan’s Tiger (英語), Writers Serv, p. 105, ISBN 1-904623-78-6
  4. ^ John Bale (2002), Imagined Olympians: body culture and colonial representation in Rwanda (英語) (1. ed.), Univ Of Minnesota Press, p. 120
  5. ^ John Bentley (1953), The old car book (英語), Arco Pub., p. 74
  6. ^ Hanne Hellemans. "Schimmen met een ster. Het bewogen verhaal van joodse ondergedoken kinderen tijdens de Tweede Wereldoorlog in België" (PDF; 639 kB). Bibliothèque / Bibliotheek (オランダ語). CegeSoma.be. p. 204. 2011年5月5日閲覧
  7. ^ "Belgium and the Jewish World" (PDF; 236 kB). News from Belgium (英語). Diplomatie.Belgium.be. February 2011. 2011年5月5日閲覧
  8. ^ Yad Vashem yadvashem.org
  9. ^ Gubwant Malik (2010), Susan’s Tiger (英語), Writers Serv, p. 106, ISBN 1-904623-78-6



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