イーゴリ・ベズロドニーとは? わかりやすく解説

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イーゴリ・ベズロドニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/30 09:28 UTC 版)

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イーゴリ・セミョーノヴィチ・ベズロドニー
生誕 (1930-05-07) 1930年5月7日
出身地 ソビエト連邦チフリス
死没 (1997-09-30) 1997年9月30日(67歳没)
学歴 モスクワ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト
担当楽器 ヴァイオリン

イーゴリ・セミョーノヴィチ・ベズロドニー[1]ロシア語:Игорь Семёнович Безродный, ラテン文字転写例:Igor Semenovich Bezrodny, 1930年5月7日 - 1997年9月30日)は、ソビエト連邦出身のヴァイオリン奏者指揮者[2][3]

経歴

グルジアの首都チフリスの生まれ。ヴァイオリン教師だった両親から音楽の手ほどきを受け、モスクワイッポリトフ=イワノフ音楽学校に進学した。1947年のプラハ青少年音楽祭コンクール、1949年にはプラハヤン・クベリーク国際ヴァイオリン・コンクール、1950年にライプツィヒヨハン・ゼバスティアン・バッハ国際コンクールのヴァイオリン部門のそれぞれに出場し、いずれも優勝している。これらの功績から、1951年にはスターリン賞を贈られた。1953年から1955年までモスクワ音楽院のアブラム・ヤンポリスキーのクラスで学び、卒業後は同音楽院の講師に迎え入れられ、1972年には教授となった。1965年からドミトリー・バシキーロフやミハイル・ホミツェルとピアノ三重奏団を結成し、1972年まで継続的に活動した[4]

モスクワ音楽院での後進の指導の傍らニコライ・アノーソフ等に指揮法を教わり、1970年にはイルクーツクで指揮者デビューを果たした。1977年から1981年までモスクワ室内管弦楽団の芸術監督を務めた。1978年には教え子のマリ・タンペレと結婚。1986年から1990年までフィンランドのトゥルク・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めた。1991年からはシベリウス音楽院で教鞭をとるようになった。

1997年にヘルシンキにて死去。

参考文献

  • 日本・ロシア音楽家協会 編「ロシア音楽事典」(2006年 カワイ出版)ISBN 9784760950164

受賞

脚注

  1. ^ ベズロドヌイ、ベズロードヌイの表記もある(参考文献p.261他)。
  2. ^ persona.rin.ru
  3. ^ edenhell.net
  4. ^ 参考文献p.261。



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