イプソス以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 14:39 UTC 版)
「デメトリオス1世 (マケドニア王)」の記事における「イプソス以降」の解説
イプソスの戦い以降、共通の敵を失ったディアドコイの間には新たな対立が生まれ、プトレマイオスはリュシマコスと、セレウコスはデメトリオスと同盟を結んで対立した。デメトリオスは娘ストラトニケをセレウコスに嫁がせた。失地回復を狙うデメトリオスは再びギリシアに渡り、アンティパトロス朝の後継者争いに乗じてカッサンドロスの息子達を倒し、紀元前294年にマケドニア王位に就くものの、かつての領土を取り戻すべく戦争と重税を重ねたために民心を失う。そして、紀元前288年にプトレマイオスとリュシマコスの支持を受けたエピロス王ピュロス(デメトリオスにとって妻の弟にあたる)の侵攻を受け、国を奪われて放逐された。 その後、デメトリオスは再起を図って小アジアに攻め込んでセレウコスと戦ったが進退窮まり、セレウコスに身を委ねる。デメトリオスの影響力を恐れたセレウコスは彼を監禁したが、狩場を持つなどそれなりの自由はあったようである。紀元前283年にデメトリオスはシリアで獄死した。
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